北原義治さん逝去
[2012年12月27日最終更新]
詰将棋作家の北原義治さんが2004年6月2日に亡くなられたとのこと。最近は毎月詰工房にも顔を見せていました。ご冥福をお祈りいたします。
北原義治さんの作品 2012年12月27日、リストを最新に
たくさんの作品を創作し、最近も女流棋士30周年記念曲詰など活躍されていた北原さん。ネット上でもいろいろな作品が紹介されています。
1) おもちゃ箱
5) 詰将棋一番星
- 簡素図式精選(4):35 (5):42 (7):69
- 古今ベスト10(2):9(あぶり出し「Y」)
- 近代将棋北原善治個展 S55年2月 S55年3月
S56年1月 S56年7月 S56年10月 S56年11月 - 近代将棋 近代詰将棋作家代表作(長編除く):1
- 近代将棋 S56年3月:7 S56年7月:7
S57年9月:8 S57年10月:1
S58年1月:2 S58年3月:7 S58年9月:7
S59年9月:5
7) 将棋雑記
8) ss@serisiu
北原義治追悼特集
2004年7月26日発売の近代将棋9月号で、「昭和詰将棋界の巨星 北原義治追悼特集」
・力だめし詰将棋7月号出題解答解説 柳田明 (冒頭で追悼文)
・昭和詰将棋界の巨匠 北原義治氏逝去 全日本詰将棋連盟会長 門脇芳雄
・頑固な詰棋職人 角建逸
・さようなら、北風のおじさん 近代将棋編集長 中野隆義
北原氏の法要について
2004年7月22日、おもちゃ箱掲示板で、やなさん「丁度折り悪く、全国大会と49日の法要がカチ合ったようです。近将HPの編集長の日記に記事が出ていました。」
北原義治さんの法要では、案の定というか、やはりというか、そこそこ呑んでしまいました。だいたいにして、呑み助といのはしょうがないもので、何気なく席につくとですね、周りは関口の兄いとか沼春雄流とか、お酒に目がない方々でしっかりと囲いを築いているんでして、「ま、ま、ま」とか言い合いながらお酒を注ぎあって、いつのまにやらすっかり出来上がってしまうのでありました。
そうなりますと、好き勝手な思い出話に花が咲くわけでして、これがまた北原さんの悪口ばっかりになってしまうのでした。
越智信義さんが、なんと42年も前の近代将棋に掲載された「北原義治氏入選百回をお祝いする会」のコピー持参して、列席した皆に配ったのですが、それを見てさえ「へえーっ、ひねくれていないころがあったんだあ」ですから助かりません。北原さん、ごめんなさい。みんな悪気があって言っているわけではなくて、お酒のせいです、お酒の。
北原さんが残して行ったものの中で、未発表の詰将棋は全て処分されたと聞いたときは、もったいないなあと感じましたが「未完成のものを残しておくのは兄の本意とするところではないと思いまして、そう致しました」という、弟の孝さんの言葉に、納得しました。すばらしい気風の良さです。孝さんは、6歳上のお兄さんの将棋が強すぎて、とてもかなわないと思って一切将棋には手を出されなかったそうですが、もし将棋を指していればお兄さんより大駒一枚強くなったのではないかと思います。
残されたものの中から、北原さんが自費出版した「独楽の画」「独楽の郷」など数冊をいただいてまいりました。独楽というのは、くるくる回すコマのことです。北原さんは、この「独楽」というのが好きで、作品集のタイトルはみんな「独楽の○」でした。独楽には、将棋の駒がかかっているのと同時に、文字通り一人で楽しむという意味も読みこまれているのだと思います。
北原義治さんの最後の作品
2004年6月29日、ある棋士の日常で、北原義治さんの最後の作品
棋聖戦第2局、千日手指し直しとなったようなので、近代将棋詰将棋シアターを解く。
6番には故北原義治さんの恐らく最後の発表作も。
この2日に69歳で亡くなられた北原さんの近代将棋での409回目の作品。
確か作品集として「独楽のたに」「独楽のうた」「独楽のさと」等が野口ブックスから四冊ぐらい出ていて、そのうちの半分しか購入することができなくて、その入手できた作品集の作品を解いたこと、近代将棋に軽い読み物を時々書かれていて、それと同時に作品み発表されていたこととかを思い出しながら解く。
連盟職員で、今のようにコンピュータに資料が整理されていないころ、そういう資料や記録を扱う部署の仕事をされていて、出張で関西将棋会館に来られた時に、この大作家を一度だけお見かけしたことがある。昭和58年前後だっただろうか?
北原さん提供の女流棋界30周年記念・あぶり出し詰将棋が、今年の女流棋士親睦会パーティーにて出題されていて、まだ解いていなかったので、女流棋士会HPに問題があったはずなので、今から解いてみようとも思う。
詰工房で追悼の会
2004年6月20日、詰工房の6月例会で北原義治さんの追悼の会。小川悦勇さん、駒場和男さんも参加して思い出を語り個人を偲んだ。
詳報
2004年6月15日、詰パラ掲示板で、管理人さん
「詰将棋作家の北原義治氏が6月2日、心筋梗塞の為亡くなられました。享年69才。」
2004年6月16日、HYO牛TAN党さん
「近将HPで知りました。詰研等でかわいがって頂き、田中寅彦九段サイン入りの詰め将棋の本を頂いたりしました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。」
またメモで、
掲示板にも書きましたが、詰将棋作家の北原義治さんが心筋梗塞のためお亡くなりになりました。
ちょうど6月号のリレー随筆で、尼子さんが北原さんのことに触れられていました。わたしは直接お会いしたことはなかったのですが、あの文章を読んで一度はお話をうかがってみたい思ったばかり。そう思われた方も多かったのではないでしょうか。
ご冥福をお祈りします。
追悼の意を込めて豆腐図式
2004年6月14日、コーヘイの読みぬけ日記
さて、この『将棋殺人事件』には純四桂詰のほかにも、作者オリジナルの「豆腐図式」が出てくる。
この「豆腐図式」の最長手数作の作者として、作中において紹介されている詰将棋作家北原義治氏が、6月の2日にお亡くなりになられたそうです。
偉大な先達の業績を、私ごときがあれこれ語るのは憚れるというもの。ここに、追悼の意を豆腐図式に込め、慎んで御冥福をお祈りいたします。
詰将棋作家の北原義治氏が死去
2004年6月14日、勝手に将棋トピックスで、詰将棋作家の北原義治氏が死去 「詰将棋作家の北原義治氏が2日に逝去されたそうです。支部名人の経験があるアマ強豪でもありました。ご冥福をお祈りいたします。」
ご冥福をお祈りいたします
2004年6月14日、風日記HARD2で、ご冥福をお祈りいたします 「「独楽のたに」は入手した時期のせいもありますが,もっとも数多く並べた作品集のひとつです。」
将棋パイナップルに新スレッド
2004年6月14日、将棋パイナップルで、Guten Tagさん「北原義治さん(詰将棋作家、支部名人)が亡くなられたとのこと。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。」に、mtmtさん「新スレを立てました。」 北原義治。
・・・
2004年6月14日、梔子の花BBSで、Guten Tagさん「近将中野編集長さんの日記を読んでショックを受けました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。」
風のように
2004年6月14日、近代将棋の編集長の近時片片
この欄のタイトルに使っている「近時片片」は、詰将棋作家の北原義冶さんがその昔、近代将棋によせたエッセーのタイトルをパクったものである、というのはいつぞやに書きましたですよね。しばらくお会いしていませんでしたが、ときどき本誌の詰将棋シアターに投稿があったりしましたから、そこそこお元気にしていられるのだろうと思っていました。
ところが、さきほど、北原さんの弟さんより編集部に電話がありまして、この2日にお亡くなりになったのだそうです。まさかと思いましたが、葬儀はすでに内内のもので済ませましたとお話を聞くと、そうなのだなと認めるほかはありません。
物を捨てるのが嫌いというか、できなくて、どうしてそうなんですかとお尋ねしたことがありました。「だって、まだ使えるだろ」とのお答えでしたね確か。北原さんの机の引出しの中には、チビた鉛筆だの、ハンコウのスタンプ台だの、ホッチキスなど、いろんなものが入っていました。きっと私が物欲しそうな目をしたからだと思いますが、北原さんは、「よけりゃあ持ってって使いな」と仰って、そのお言葉に甘えて遠慮無く鉛筆を鷲づかみにしましたら、あっ、そんなにダメとあわてていましたですね。えっ、チビた鉛筆を何に使うかですか。それはですね、周りの木の部分を全部削りまして芯の部分をシャープペンシルの芯として使うのであります。それも北原さんに教えてもらったことでした。
何も言わずに、風のように逝ってしまった北原さん。さようなら。あちらの方でも、きっとお友達はできないと思いますよ。まあ、あと4,50年もしたら追いかけて行きますから、しばしお待ちのほど。
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