山本民雄さん逝去
[2005年7月17日最終更新]
詰将棋作家山本民雄氏が2005年7月1日逝去との報。
ご冥福をお祈りいたします。
1970年 看寿賞受賞(短編部門)
1982年 看寿賞受賞(中編部門)
1984年 看寿賞受賞(中編部門)
1985年 看寿賞受賞(中編部門)
・山本民雄スレッド(将棋パイナップル)
・詰将棋解析学 1.山本民雄・作 (明治大学将棋研究会OB会)
・名局鑑賞 第3回:山本民雄作 (ふしんなページ)
・長手数への入口 詰将棋探検隊 (もずいろ 風変わりな将棋の部屋)
さようなら
2005年7月17日、近藤寛己さんよりコメント
「山本民雄氏とは中学の同級生で、二人とも当時の鶴田諸兄氏時代の詰パラの会員でした。卒業後、1970年頃、一回だけ偶然に、新宿で会ったことがあります。大学生(たぶん一橋)の頃です。中学生の山本氏は、数学的才能と文学的才能が際立った秀才でした。スポーツは軟式のテニスをやっていた。山本君、さようなら。」
山本民雄氏追悼
2005年7月14日、ふしんなページで、詰将棋雑感「山本民雄氏追悼」
「・・・ 1969年になって、作風が明確に現れはじめます。そして、中合回避の遠打の11手詰は1970年、ここから先はもう独自の世界です。最小手数は3手詰、最長手数は85手詰ですが、何といっても氏の真骨頂は難解で独創的な中篇にありました。
リアルタイムで氏の作品をはじめて見たのが有名な次の作品。上田吉一氏の作品(『極光21』第81番)と並んで掲載されていたのをはっきり覚えています。 ・・・
目を剥くような難解な変化、紛れと鮮烈な構想。もっと作品を見せて欲しかった作家でした。」
残念でなりません。
2005年7月12日、将棋パイナップルの山本民雄スレッドで、首猛夫さん
「・・・ この作品は、そのときにだいぶ苦労させられた記憶があります。行けども行けども、次から次へと様々な手段が出てくる。佐藤様のおっしゃられるように、傑作とはまさにこのような作品の為にあることばでしょう。わたくしたちも、異なった意味で難解さを求めていた頃ですので、興味深く解かせて頂きました。パラダイスの掲示板にも、書き込みしましたが、1996年の夏にお会いして、いろいろお話を聞かせてもらったのが夢のようです。残念でなりません。」
山本民雄さん逝去。
2005年7月9日、All by myselfで、山本民雄さん逝去。
「飛遠打などの作品で有名な山本民雄さんが亡くなったそうです。ご冥福をお祈りいたします。上図は看寿賞を受賞した竜ソッポ3回の傑作。作意(▲73馬△同玉▲76竜以下33手詰)成立のからくりを理解したとき、その深遠な論理性に唖然とする筈。」
ご冥福をお祈りいたします
2005年7月8日、たくぼんの解図日記で、お疲れモード
「山本民雄さんが亡くなられたということで、本当に残念です。自分はリアルタイムで解けた作品が無いのが残念で仕方ありません。ご冥福をお祈りいたします。」
看寿賞選考経過
2005年7月8日、風みどりの玉手箱で、マリさん,どうしたの
「・・・ 看寿賞選考経過が読み応え十分。 ・・・ 中村作への橋本委員の評
「銀がナイトのように移動する大ソッポに感動」で絡んできた故山本民雄さんの
作品を2つ紹介します。 ・・・」
山本民雄氏が逝去
2005年7月7日、勝手に将棋トピックスで、山本民雄氏が逝去
「詰将棋パラダイス掲示板7/06(水)12:47付けの書き込みによると、著名な詰将棋作家の山本民雄氏が7月1日に逝去されていたそうです。ご冥福をお祈りいたします。山本氏の詰将棋作品は次のページなどでご覧になれます。」
ご冥福をお祈りいたします
2005年7月7日、将棋パイナップルの山本民雄スレッドで、mtmtさん
「謹んでご冥福をお祈りいたします。」
訃報3連発
2005年7月6日、風みどりの玉手箱で、訃報3連発
「朝から,夕方までに
永島慎二,天野滋,山本民雄と,
分野は違えど私の中学・高校時代のヒーロー達の訃報に接しました。ご冥福をお祈りいたします。」
訃報
2005年7月6日、詰将棋パラダイス掲示板で、管理人さん
「短・中編の分野で看寿賞を4回受賞された山本民雄氏が7月1日、がんのため死去。
ご冥福をお祈りいたします。」
2005年7月6日、首猛夫さん
「いまから、9年前のことだったか、米長現将棋連盟会長の事務所にお邪魔させていただいたことがあった。そのとき実は、山本民雄さんにもお会いしていたのでした。たしか、近藤郷さん、素田黄(臼田信次郎)さん、橋本哲さんとわたくしという異色のメンバーで、2時間くらいお話を聞かせていただいたと思います。精緻を極めた、解く方には発狂寸前の作品を作る方とは、思えぬほど物静かでやさしい語り口に、少し肩透かしを食ったような印象でした。暑い初夏の午後、冷房の効き過ぎた喫茶店で、楽しくお話させていただいたことが夢のようです。人の命は実にはかない、今夏は悲しいことが重なりますね。心よりご冥福をお祈りいたします。」
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山本民雄氏とは中学の同級生で、二人とも当時の鶴田諸兄氏時代の詰パラの会員でした。卒業後、1970年頃、一回だけ偶然に、新宿で会ったことがあります。大学生(たぶん 一橋)の頃です。中学生の山本氏は、数学的才能と文学的才能が際立った秀才でした。スポーツは軟式のテニスをやっていた。山本君、
さようなら。
投稿: 近藤寛己 | 2005.07.17 03:18