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小西逸生さん逝去

[2007年12月29日最終更新]
「紅玉」 「青玉」 「将棋紫雲英図式」の作品集で知られる詰将棋作家(詰将棋パラダイス同人作家)小西逸生さんが2007年11月30日に悪性リンパ腫で逝去されたとの報。小西さんは、昭和11年6月に京都で生まれ、先天性脳性マヒによる重度の身体障害者でしたが、趣味の詰将棋創作を続け、昭和37年には全日本詰将棋連盟初の個人作品集として「紅玉」が発行されるなど、回りの人の温かい支援を受けて、活躍されていました。謹んでご冥福をお祈りいたします。


小西逸生作品について
12月28日、詰将棋駒の舞(別館)で、小西逸生作品について
「・・・ 創棋会の作品集の解説を書いた時に、小西作が1作あったのですが、本になった時には省かれていました。発表時に余詰があり結果発表時に作意・変化等と共に 修正図が載っていた作品です(曲詰)。変化手順が最短の詰まし方でなかったので修正して新規に解説しただけですが、初手の馬の移動王手の位置が1路遠ざ かっても良いとの内容に修正の余地を感じたのかもしれません。私は全く気にしなかったのですが。合掌。 ・・・」

生涯現役-小西逸生
週刊将棋2008年1月2日号、ズームアップ詰棋人(詰将棋パラダイス編集長 水上仁)
「去る11月30日、小西逸生氏が悪性リンパ種のため亡くなった。昭和の時代を代表する大作家のひとりだった。 小西氏の初入選は将棋世界誌。16歳の時であった。以後は各誌へ好局を次々に発表する快進撃で、あっと言う間に詰将棋界の看板になった。キャリアを通じて発表した作品数は将棋世界が109、近代将棋64、詰将棋パラダイス237。これに将棋マガジン、将棋ジャーナル、新聞各紙などを加えると、とてつもない数字になってしまう。 華麗なる捨て駒。小西氏の作品にはそんなイメージがある。駒の機能美を追求する作風であり、後続の作家達に大きな影響を与えたことに疑いはない。 ・・・ 不運なことに小西氏、幼少の頃に発した高熱がもとで、重度の障害を負ってしまったのだ。以後は車椅子での生活を余儀なくされる。 それにもかかわらず、詰将棋に人一倍の情熱を傾け、多くの名品を世に残した。 ・・・」

詰パラ1月号で追悼特集
2007年12月19日、詰将棋パラダイス最新情報で、1月号の情報。
「・・・ 小西逸生氏追悼特集:門脇芳雄、岡田敏両氏による追悼文 ・・・」

小西逸生さんを偲ぶ
2007年12月13日、将棋雑記で、小西逸生さんを偲ぶ
「小西逸生さんがお亡くなりになった。偉大な作家の一人でしたが、NET上での反応が余り無い。思うに小西氏の代表作は昭和時代のものが多く、今の人は知らないのだと思う。塚田賞を受賞した作品を初めとして、名作も多いがここでは、詰パラ昭和51年6月号の「私のベスト10」の10番目に小西氏が選んだ、小西氏が自作でのベストと思っていた作品を紹介します。初出は詰将棋パラダイス昭和47年9月号の200号の表紙を飾った作品です。 ・・・ 今、小西氏ほどの思いで詰将棋を創作している方は何人いるだろうか?安易なトータルコーディネイトした作品に逃げていないであろうか?職人の作家が又一人居なくなり、寂しい限りである。」

訃報
2007年12月11日、詰将棋パラダイス掲示板で、管理人さん
「小誌同人作家の小西逸生(こにしいつお)さんが11月30日、悪性リンパ腫のため死去。享年71歳。」

小西逸生さん逝去
2007年12月10日、おもちゃ箱掲示板で、やなさん 訃報
「小西逸生さんが11月30日に亡くなられていたとの事です。年末になって判明するのは何とも言えない気持ちですね。謹んでお悔やみ申し上げます。」

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