文化遺産、大道詰将棋を守れ
[2008年1月10日最終更新]
大道詰将棋(大道棋)が街頭から消えて何十年もたち、実際に大道詰将棋の実戦経験を持つ人がほとんどいなくなってきた。大道詰将棋は大道棋屋さんの商品なので、その価値はその問題で何本取れるか、であり、普通の詰将棋の評価基準とは大きく異なる。そこを理解していない的外れな作品や短評が増えてきたように感じている。
この前提を忘れるならばそれはもはや「大道詰将棋風の普通詰将棋」であって、大道詰将棋とはいえない。実際に街頭で出題することを復活させることは難しいが、詰将棋ファンとしては本来の大道詰将棋を創作したり、大道詰将棋として解答を楽しむことで、文化遺産としての大道詰将棋を守っていきたいものだ。
関連情報: ドキドキストリート (おもちゃ箱) 謎の大道詰将棋・詰んだらプロ
良い大道詰将棋とは
何本も取れる大道詰将棋とはどんな問題か、その条件を考えてみよう。
筆者(TETSU)が昔ネットの掲示板で大道詰将棋を出題したとき、3つの条件を書いたことがある(おもちゃ箱 TETSU No.22)。
- 手を出したくなる初形
- 簡単に詰みそうな誘い手
- 間違え易い (詰めにくい) 本手順
大道棋屋さんは、客寄せ用のやさしい問題から、稼ぐためのマブネタまで、いろいろな問題を使い分けるが、いずれも基本はこの3条件だ。順に考えていこう。
1)手を出したくなる初形
これには、盤面の面積、駒数、持駒数、配置の自然さなどが要因になる。自分が初心者のころ、どんな問題なら解く気になったか(ならなかったか)考えてみると何となくわかるだろう。一つの目安として、筆者が考案した「集客度」がある。
集客度とは形の良さを示す値で、次の式で計算する(小数点以下は切捨て。 マイナスになったら0点、百を超えたら百点とする)。
集客度=110-(盤面使用面積×駒の点数合計)/20
なお、駒の点数は一枚につき次の通りとする。
盤面の歩=1点、盤面の歩以外=2点
持駒の歩=2点、持駒の歩以外=4点
集客度が80点以上なら、かなりの好形、60点台ならまず合格、50点以下だと大道棋としてはちょっと使えない感じである。集客度を上げるために、1枚の駒にもこだわってほしい。
なお、持駒は1枚がもっとも望ましく、次善がなしか2枚。3枚以上はほとんど使えない。
これは、はいどうぞ、と持駒を渡して客をやる気にさせるためである。
2)簡単に詰みそうな誘い手
お客に詰むと錯覚させなければいけないのだから、これは必須条件だ。香歩問題、銀問題といった問題数の多い類型は、いずれも多くの誘い手を内包している。また、よい問題は、初心者用、中級者用、上級者用といろいろなレベルの誘い手を持っている。
例えば香歩問題なら、72歩や63桂が初心者用、83桂が中級者用、更に裏筋の逃れ(83桂での香飛合など)が上級者用といった具合だ。
改作のとき注意しなければならないのは、不注意にこれらの誘い手を消してしまうこと。これをしてしまうとほとんど無価値になってしまう。特に香歩問題での72歩から香打、銀問題での82銀から73銀生など、初心者用の誘い手は絶対消してはならない。72歩で余詰があるからと76歩を置いたり、銀問題で二段目に(74角以外の)利きを作ったり、誘い手を意識してないとついやってしまうので注意したい。
詰パラの大道棋教室で出題するときには、解答者に上級者が多いので、裏筋を盛り込むのが効果的だ。これは定跡通りの受け(香歩問題72歩のときの桂金合など)は詰むように作り、それ以外の妙防を用意するものだ。
普通の詰将棋では作意手順が最重要だが、大道詰将棋の創作はでは作意より誘い手の創作が中心になる。つまり、妙防を普通詰将棋では作意にするが、大道詰将棋では誘い手にするのだ。
3)間違え易い (詰めにくい) 本手順
本手順は誘い手ほど重要ではないが、簡単に詰まされては商売にならないので、詰めにくいことが条件。普通詰将棋だと妙手が入ってきれいに詰めばよいが、そういう問題はあっさり詰められてしまうことが多い。詰めにくくするには妙手も一つの要因だが、変化が多いことや、駒取りや追い出す手など指しにくい手を入れることも有効。長手数にするのも有効だが、一本道だとあまり意味が無い。
普通の詰将棋では解答が一通りに決まる問題が喜ばれるが、大道詰将棋では解答がわかりにくい方がいい問題。例えば変同がいろいろあれば、そのときによって逃げ分けたりできる。早詰や余詰も、それがあるために簡単に詰められるなら致命傷だが、そうでなければあまり気にする必要はない。
ただし、解答募集として出題する場合は、あまりいろいろな手順があると解答審査が大変なので、ある程度限定させた方が喜ばれる。しかし、限定させるために形を悪くしたり誘い手を消すような本末転倒にならないように注意しなければならない。
作品募集
詰将棋作家の方は上記のようなことを踏まえて、ぜひ大道詰将棋の創作に挑戦していただきたい。既存の大道詰将棋を知るには、大道棋類型辞典(作品一覧)や大道棋名作三十局選(作品一覧)が参考になるだろう。筆者の問題を見てみたい方は研究問題作品一覧をどうぞ(あまりよくない問題も混じっているが)。
現在大道詰将棋を募集しているのは、下記2箇所。
短手数の大道詰将棋を解いてみたい人には大道詰将棋に挑戦!がお勧め。コンピュータ大道棋屋がお相手してくれる。解き終わったらリロードすると次の問題が出題される。
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コメント
「将棋日本」という昭和十年頃に出ていた雑誌を見ていたら、面白い話が出ていましたので、転載しておきます。筆者は「荒鷲」の作者の橘二叟氏
「これも木村八段から聞いた話だが、街頭詰将棋屋の草分け時代と云うから10数年前の事、某なる棋士くづれがこの商売をやって、とても繁昌し、一夜に十金を得る事が容易だった頃、大阪の岡場所で開業中、当局の取締方針が放置を許さずとして、仲間数名と共に挙げられた。某の取調べの番になったら彼氏弁ずらく、自分は将棋の教授を行ひつゝ将棋本を売るものである。他のインチキ共と同視される事は心外なり速やかに釈放されたいと述へた。すると警官は、宜しい、敬も将棋を教へると申すからには相当の腕前であらう。一番試してやるから来いと、小使室へ連れて行き盤を持出してパチリヽと指し始めた。素人の癖に何程の事やあらむとタカを括って始めたら驚いた。ウツカリするとヒネられそうである。一期の浮沈此処なりと某は鼻の頭に汗を貯へつゝ指す程に、辛じて勝局を収めた。警官も額を拭ってフームなかゝやりおる。この位なら将棋を教へて飯も喰へるだらうと、即座に彼一人を放免したといふ。某後で人に語って曰く、あのお巡りは確かに初段の力があったと。それ以来某は足を洗って正業に就いた由、めでたしゝ。」
昔の初段ですから、今で言えば県代表クラスの力のあった警官だったということで、ひょっとして鶴田主幹か?と思いましたが、時代的に少し合いませんね。
昔はおおらかで良い時代だったんですねえ。
あと、大正末期?だと大道棋屋で充分金儲けが出来たんですねえ。
投稿: 利波偉 | 2008.01.21 21:46
初期の大道棋屋さんは、詰将棋ではなく将棋を教えて将棋の本を売っていたと、「大道棋の歴史」に書いてありましたが、まさにその頃の時代のエピソードですね。貴重な情報、ありがとうございました。
投稿: TETSU | 2008.01.22 00:05