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川崎弘さん逝去

[2008年12月3日最終更新]
詰将棋パラダイスによると、 「全詰連規約委員長としても活躍された川崎弘(かわさきひろむ)さんが、11月5日亡くなられました。享年84歳。」 とのこと。川崎弘さんは大正13年生まれ。詰将棋作家としても著名であるが、それにとどまらず、詰将棋の評価、規約、合駒の研究、大道詰将棋の分析など、いろいろな面で理論的な考察を発表して活躍されていた。作品集「北斗」には、理知的な詰将棋作品とともに、たくさんの随筆、論文が収録されている。詰パラの検討陣として、また創棋会メンバとしても活躍され、昨年の神戸での詰将棋全国大会では、お元気に参加されていたのだが・・・ 謹んでご冥福をお祈りいたします。


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  • 2008年11月8日、平井孝雄さん

詰将棋パラダイス2008年12月号到着
2008年12月3日、ゴルゴ40の、ただの日記じゃねえか、こんなもんで、詰将棋パラダイス2008年12月号到着
「・・・ そして突然の川崎弘さんのご逝去。私は詰将棋作家として活躍されていた頃の川崎さんはほとんど存知あげないのだが、近年では詰パラの短編作品の検討者をされていたので、非常にお世話になった。中学校投稿作のほとんどに、川崎さんの検討された付箋がついていたのだ。謹んでご逝去をお悔やみ申し上げます。」

訂正とお詫び
2008年11月18日、ベイと祭りと詰将棋で、No.54 訂正とお詫び
「・・・ No.52で川崎弘氏の訃報について触れた際、故人と「青木みどり」氏は同一人物と書きましたが、どうやら誤りだったようです。良く確認せず安直にお伝えしてしまったことを、深くお詫びいたします。申し訳ありませんでした。」

残念です・・・。
2008年11月18日、おとといキマス。で、残念です・・・。
「詰パラのマンガの連載も終わってしばらくしたところ、望外の感想を頂いた。K崎弘氏からだ。詰将棋界の重鎮。そんな方から拙作の感想をいただけるなど本当にありがたい話だった。作中とりあげた駆逐艦川内。そんな言葉に反応していただけて本当に嬉しかった。早く何らかの形でお返事しなければ・・・とそう考えていたのに・・・。詰パラのサイトを覗きに行って訃報を知った。残念だ。ショックだ。私の軍艦のオタク話はあの世への持越しとなってしまった。お会いしていろいろ伺いたい話もいっぱいあったのに・・・・。この世ではかないませんでしたが、せめてあの世で一緒に軍艦の話に花を咲かせることを今から楽しみにすることにします。ご冥福をお祈りいたします。安らかに。」

異色の作品・評論集「北斗」
2008年11月18日、詰将棋 駒の舞(別館)で、異色の作品・評論集「北斗」
「川崎弘氏の死去が「詰パラ・サイト」他で報じられています。しばらく、お会いしていませんでしたので個人的には突然の感もあります。詰将棋歴も、担当歴 も、規約の考察をはじめとする多くの評論等でも、及ぶべきもない大先輩です。あまりにも差が大きいために、とてもつかみきれません。作品・評論集「北斗」 は多くの評論・研究を中心に度々読む本です。 ・・・」

お詫び
2008年11月17日、たくぼんの解図日記で、お詫び
「11月8日のエントリーで川崎さんの訃報について書きました。その際、「青木みどり」名が川崎さんのペンネームであることを書きましたが、これは全く確認の取れていないものでした。かつてどこかでそのようなことを読んだような気がして、私の頭の中では完全に同一人物と判断してしまいました。8日のエントリーのその部分につきましては削除させて頂き、青木みどりさん並びにお読みになられた皆様に余計な誤解を与えてしまったことを深くお詫び申し上げます。すいませんでした。 たくぼん」

川崎弘さんご逝去のニュース
2008年11月16日、風みどりの玉手箱で、川崎弘さんご逝去のニュース
「詰将棋メモも読まなくなって久しいので,川崎さんご逝去のニュースも,やっと今日になって知った。ご冥福をお祈り申し上げます。川崎さんの名前を初めて知ったのは,たぶん妻木さんからいただいた「移動中合の研究」という青焼きコピー。次は不利感をテーマにした短編名作選に選ばれた次の作品でした。 ・・・ その後,田宮克哉さんとの規約論争が印象に残っています。私も川崎さんから規約に関する分厚い手紙を頂いたことがあります。「白か黒か」ではなく「灰色を考えよう」というのが,川崎さんの大きな譲歩だと感じました。ところで,たくぼんさんの解図日記に,「青木みどり」さんが川崎さんだとあって吃驚しました。そのペンネームのセンス。「イ」の字へのこだわりから,てっきり鳥越九郎さんだと思い込んでいたのです。

訃報
2008年11月6日、詰将棋パラダイスメモ
「全詰連規約委員長としても活躍された川崎弘(かわさきひろむ)さんが、11月5日亡くなられました。享年84歳。通夜・葬儀はご親戚だけで済まされる由。」
2008年11月16日、追記
「先日、川崎弘さんの訃報をお伝えしました。川崎さんといえば長年にわたり詰パラ検討陣の1人としてお力を貸していただきました。返送経験のある作家の大多 数は、川崎さんの独特の筆記をご覧になり、また覚えていらっしゃると思います。お亡くなりになる直前まで、定期的に(それも頻繁に)検討作品の送付、返送 というやり取りを行っていましたので、まさかこのようなことになるとは思いもよりませんでした。ご冥福をお祈りいたします。」

ご冥福をお祈り致します
2008年11月10日、創棋会
「2008年11月5日に、創棋会員の川崎弘氏が亡くなられました。8月の第214回例会まで元気に参加されて、将棋を指されていました。故人は第3回例会に初参加されたのを皮切りに、百回以上参加され後進の指導を行うと共に、作品展への登場は歴代5位の37回を数え、詰将棋界発展の礎となられました。また、作品検討や規約等についても常に最新情報を伝えて下さり、大変お世話になりました。心より哀悼の意を表し、謹んでご冥福をお祈り致します。」

ご冥福をお祈りいたします
2008年11月9日、ベイと祭りと詰将棋で、No.52 開設一周年
「・・・ 詰パラのHPを見て川崎弘氏の逝去を知りました。川崎氏といえば詰将棋規約の制定に、長年情熱を燃やし続けてこられました。そのせいか作家よりも論客という印象を持っていたのですが、たくぼんさんのHP(『★たくぼんのページ★』)を見て「川崎弘=青木みどり」であると知り、驚きました。「青木みどり」と言えば「イ」の字。遊び心溢れる田舎の曲詰で私たちを楽しませてくれたのが、実は川崎氏だったとは…。謹んでご冥福をお祈りいたします。(利波さんのHP(『温故知新』)で川崎氏の代表作が紹介されていますので、ぜひ訪問してみてください。)」

川崎弘さん逝去
2008年11月8日、将棋雑記で、川崎弘さん逝去
「川崎さんがお亡くなりになった。最近の方は知らないでしょうが、川崎さんは不利感のある作品を多数発表されておられ、又詰将棋に対する論文も多数残されました。 ・・・ 次の作品は川崎さんの代表作として有名な作品ですが、最近の人は知らないと思いますので、紹介いたします。昭和三十年四月詰将棋パラダイス発表。作品集「北斗」より、若島正氏の解説を引用いたします。 ・・・ ご冥福をお祈りいたします。」

訃報
2008年11月8日、たくぼんの解図日記で、訃報
「川崎弘さんが亡くなられたとのこと。昨年全国大会でお会いしたときにはまだまだお元気そうだったのに・・・。残念です。最後になりましたが謹んでお悔やみ申し上げます。 たくぼん」

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コメント

川崎さんの訃報は、思いがけなかった。
 8月の創棋会例会にはお元気に参加。好敵手山本勝士さんと指し将棋を楽しんでおられたのに・・・・。 
 この時、氏は中国の地図を持参。ここが地震のあった四川省で、一寸北には史記で有名な○○にも行ったことがある。今は交通が遮断されていてと、いちいち指さしながら話されていた姿が印象的であった。
 年に数回は海外、それも単なる観光ではなく、歴史、地誌を踏まえてのご旅行であった。これらの旅行記は大学ノート数十冊に及び、旅の様子が絵はがき、写真と共に収められている。
 
 エッセーに旅の話題が紹介されているが、全詰連ホームページに読み物の募集があり、海外の旅行の話題が豊富、筆の立つ川崎さんにゼヒにと奨めて「旅と将棋」を書いて頂いた。
 その後、読み物が途切れていたので再度、お願いしたら、旅にまつわるエピソードはいろいろあるが、将棋に関するモノはそうはないとのこと。何かこじつけてでもとお願いしたのが「旅の思い出モンゴル」である。将棋の話は取って付けた感は否めず氏の苦心のあとが出ていて申し訳ない気がする。
 黄泉のくにに旅たたれた川崎さんのご冥福をお祈りしつつ。
 

投稿: 平井孝雄 | 2008.11.08 10:59

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