来条克由さん逝去
[2009年5月6日最終更新]
元奨励会員(内藤九段門下)で必至の名手として知られる来条克由さんが、1月26日に逝去の報。来条克由さんは詰パラの必至研究室で1982年から1985年にかけて50題以上の必至を発表、1984年1月に野口ブックスとして発行された「来条克由必至名作集」には81題の必至が収録されている。謹んでご冥福をお祈りいたします。
来条克由、あるいは、人生つまんない
2009年5月6日、オウマー日記で、来条克由、あるいは、人生つまんない
「・・・ 久しぶりに将棋世界を読もうと思ったら、来条克由という将棋ファンも知らないような人を偲ぶ記事があった。死んでたんだ。50歳。でも、この訃報はキヨシローよりこたえるわやっぱり。この人のクソ難しい必死問題集、評判だったので、新横浜-大阪への新幹線の中で必死に解いた記憶がある。 ・・・」
必至の第一人者・・・
2009年5月5日、将棋雑談アレコレ(SDI)で、必至の第一人者・・・
「将棋世界に内藤國雄九段による来条克由さんの追悼文が載っていました。 ・・・」
将世6月号届く
2009年5月1日、Fourth Of Mayで、将世6月号届く
「・・・ 今日将世6月号が届きました。詰将棋メモのネタにして貰えそうな話題としては、解答選手権の報告記もありますが、故・来条克由さんの追悼記事がそれなりの分量(内藤先生2ページ+本間先生1ページ)で載っていました。 ・・・」
必至問題
2009年2月10日、詰将棋 駒の舞(別館)で、必至問題
「来条克由氏の死去の事は、かなり前に色々な所で書かれていました。
必至作品集は、凄いというか理解出来ないというか、必至問題のイメージを変えました。
ただし、次元が異なる内容でどこまで理解出来ているのか不明です。 ・・・」
来条克由氏を偲ぶ
2009年1月30日、将棋雑記で、来条克由氏を偲ぶ
「私が来条克由氏を初めて知ったのは、将棋ジャーナルの三宅正蔵氏の名講座「必至ゼミナール」であった。当時の私は詰パラの会員ではあったが、詰将棋の才能
が無いのが判った為、指将棋を頑張り始めた頃であった。したがってパラは買ってはいたが、中身は全く読んでいなかった。実際は「必至ゼミナール」以前にパ
ラで来条氏の必至を連載していたのだが、全然知らなかったのである。
戻って、「必至ゼミナール」には下図が載っていた。本当に凄いと思った。それまでの必至が実戦の延長上にある、初代大橋宗桂だとしたら、来条氏の作品は
一挙に三代宗看まで進歩させてしまったといった印象だった。次の号からも来条氏の作品紹介はしばらく続き、「来条克由必至名作集」を購入し、すっかりファ
ンになった。
では、来条氏の代表作とも言える下図を解説してみたいと思う。 ・・・
1図は将棋をやっている限り忘れることは無いと思う。本当に月並みだが、惜しい人を亡くしたと思う。合掌」
2009年1月30日、toshikiさん「この作を初めて見たときの驚きは今でも覚えています。歴史に残る遠打の名作です。いまさらですが、多くの人に知ってもらえることを願っています。」
2009年1月31日、Normanさん「なんじゃこりゃー! いやー、驚きました。こんな表現が可能なんですねえ。まるで持駒のあるチェス・プロブレムのような印象を受けました。ご紹介いただきありがとうございます。」
来条克由君の葬儀
2009年1月29日、森信雄の日々あれこれで、来条克由君の葬儀
「今日は元奨励会の来条克由君の葬儀に出席するため、9時半過ぎに家を出て、阪急で三宮まで行き、JRに乗り換えて兵庫駅で降りる。そこから徒歩5分で着いた。
来条君は必至名作集の作者で、私とはその昔、村山聖が内弟子していた頃によく泊まりに来ていた。紙バッグに着替えを入れて「こんにちは」とやってくる。そ
れから居候で、村山聖の相手もしてくれた。必至問題を見せてもらっていたのもその頃だ。三人で食事にいったりもした。「森先生、食事に行きましょう」来条
君はさりげなく居候の身分をわきまえず?言い出すのだが、その素直さがよかった。
「来条君、一週間が限度やで」居候の限度を決めていた。
1週間経つと家に帰っていくのだが、また二日後に「こんにちは」とやって来て、我が家のように手馴れた仕草で居候をしていくのだった。来条君は目立たなく
て、私はときどき居候が居るのを忘れてしまって、朝帰りのときもあったりした。その後で、来条君の必至問題が、師匠の内藤先生のご尽力もあって有名になっ
てうれしかった。
このマンションを出てからは、私が家に篭る生活をしたこともあって、(その後数年後に結婚して宝塚に来た)来条君とはご無沙汰となっていた。あれから何年経っただろう・・1月25日に亡くなった時、来条君は50歳だった。
11時から40分くらいで葬儀が終わり、見送ってから、来条君の師匠の内藤先生と一緒に駅に戻る。青空がまばゆかった・・ ・・・」
必至の名手、来条克由さん逝去
2009年1月28日、森信雄の必至にチャレンジで、創作必至No47~No51 5問
「今
日は5問出題です。必至の名作を作った来条克由さんが1月26日に亡くなりました。彼を偲んで、内容は冴えませんがとにかく作りました。彼は元奨励会で、
昔、私の家に泊まりこみでよく遊びに来ていました。当時は村山聖もいて、三人で食事に行ったり、将棋を研究したり、懐かしい思い出です。偶然ですが、前回
の出題で来条克由必至集のことを書いたところでしたが、何かの縁を感じます・・もう20年以上ご無沙汰していたからです。
来条克由さんのご冥福をお祈りします。 ・・・」
2009年1月28日、ma. さん「来条さんの訃報を聞き、私もショックです。あの必至問題集は私も一生懸命解きました。▲99角と最遠打する筋は今でも脳裏から離れません。心よりお悔やみ申し上げます。」
2009年2月1日、一日500局さん「来条克由さんがお亡くなりになられたとは今知ったのでびっくりしました。ご冥福をお祈りします。来条克由必至名作集は2冊持っていますが、現在、相当古書店には在庫がないようです。ネットで検索できる古書店には全く在庫がないです。」
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