橋本守正さん逝去
[2014年2月14日最終更新]
凡骨生のペンネームで知られる詰将棋作家、橋本守正(はしもともりただ)さんが2013年10月に逝去との報。橋本さんは昭和12年3月1日生れ。名古屋在住で、詰将棋パラダイスの編集部が名古屋にあったころは最後のページの編集日誌に「午前、橋本守正氏来訪」などよく登場し、裏表紙の男といわれていた。最近も活発に発表を続け、詰パラ2013年11月号で入選236回、またブログ「凡爺の詰めバカ日誌」でも、大道棋狂室の連載をはじめ多数の詰将棋を発表していた。ブログの更新が2013年6月2日で止まり、入院しているということで心配していたのだが、残念なことになった。謹んでご冥福をお祈りしたします。(写真は2007年詰将棋全国大会で、10回参加者表彰のとき)
橋本守正さんの思い出の作品
2014年2月14日、詰将棋の会合 香龍会で、橋本守正さんの思い出の作品
「この前の香龍会で橋本守正さんの作品についての話題が出ました。代表作として私がすぐ思い出すのは詰パラ今月号でも紹介されている裸玉ですので、ご本人にとっては軽い作品かもしれませんが、詰パラ昭和61年1月号(通巻359号)の同人作家誕生記念の時に、復活第1号として紹介されている詰パラ昭和55年8月号(通巻294号)の作品を紹介したいと思います。 ・・・」
橋本守正さんの半期賞作品
2014年1月5日、詰将棋の欠片で、詰将棋パラダイス2014年1月号 ちょっとした感想
「・・・ 詰将棋パラダイスへの入選200回超、ベテランがまたしても鬼籍に入られてしまいましたか。昨年も作品を発表、最期まで現役作家として活躍されました。ブログで大道棋の出題もされていましたね。不勉強で恐縮ですが、氏の作品を掲げたいと思います。 ・・・」
詰パラ1月号に橋本守正さんの追悼記事
2014年1月2日、詰将棋の会合 香龍会で、詰パラ1月号が到着
「・・・ 服部さんが橋本さんの追悼文を書かれています。私も香龍会やその二次会で見た橋本さんの笑顔を忘れることはないでしょう。そういえば香龍会作品集「翼」で清水さんの作品を橋本さんに解説してもらったのですが、ご自身の作品については書かれませんでした。なぜご本人に自作の執筆も進めなかったのかが今もって悔やまれます。 ・・・」
橋本守正氏の事
2013年12月16日、詰将棋 駒の舞(別館)で、橋本守正氏の事
「最近は会合に出ていないのでネットと雑誌が情報源ですが、橋本守正氏死去との事です。私が三重在住で香龍会に参加していた頃に、度々会いました。多数回会った詰棋人は少ないのですが、そのひとりです。 ・・・ 私と違って、最近作も枯れていないと感じていました。」
残念
2013年12月15日、冬眠蛙の冬眠日記で、残念
「凡骨生さんが亡くなられたとのこと。名古屋の全国大会で少しお話させていただいたこともありますが、とても明るい方、という印象。パラの解答はいつも手書きでしたが、本当に読みやすい、うらやましくなるような綺麗な字で、さらに軽妙な言葉づかいの評。担当者として本当に助かるタイプでした。あの名短評を使うこともないのですね。本当に残念です。ご冥福をお祈りもうしあげます。」
訃報
2013年12月14日、幻白衣と朔によせて で、訃報
「去る十月に、橋本守正(もりただ)氏が亡くなられました。
氏は大道詰将棋の普及に多大な貢献をされました。
最近ではネット上で大道棋狂室を連載されていました。
また一人、惜しい人を失いました。
謹んでお悔やみ申し上げます。」
橋本守正さんご逝去
2013年12月12日、詰将棋の会合 香龍会で、橋本守正さんご逝去
「また悲しいお知らせが入ってきました。橋本守正さんがお亡くなりになられたとのこと。ここ最近氏のブログが更新されていなかったので心配していたのですが・・・。橋本さんの作品は短編から長編までありますが、後年は大道棋の作品が多く、詰パラの大道棋教室がなくなってからはご自身のブログで大道棋の改作を多数発表されていました。さらにここ数年は「凡骨生」のペンネームで熱心に解答もされていました。 ・・・」
橋本守正氏の訃報
2013年12月11日、ストンリバー@stoneriverKI
「詰パラで入選200回を超える名古屋の橋本守正氏の訃報が入った(全詰連副会長K氏より連絡あり)。パラ11月号小学校での出題作が最後か。ブログでも長いこと更新がなかったので心配はしていた。それにしても、今年は一時代を築いた詰将棋作家の訃報が相次ぎました。合掌。」
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