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「茫々馬」と「百千帰」の解説 (4) 趣向ドッキング方式の発展

[2014年2月28日最終更新]
おもちゃ箱2014年新春特別出題として出題した「茫々馬」と「百千帰」の解答・解説の4回目です。

「茫々馬」と「百千帰」の解説(1) (2) (3) (4) (5)


「茫々馬」と「百千帰」の解説   糟谷祐介

(4) 其の三 趣向ドッキング方式の発展

(注:引用作品の図面は章末に掲載します。但しインターネット上で容易にアクセス可能な作品は図面を省略します。)

 創作法という切り口から久留島喜内以前の時代を眺めると、まず初代大橋宗桂に始まるテーマ創作法(下記参照)、及び二代伊藤宗印(『勇略』)、小原大介(『綱目』)等の正算法がある。

 初代宗桂(1555-1634)は余詰を排除したとか、打歩詰打開の手筋を開発したという貢献もあるけれど、最大の貢献は1602年という黎明期と呼ぶのも憚れる程の原始時代において詰将棋にテーマを導入し、作者の意図(作意)をそこに投影したことだと思う。即ち彼は「実戦形の内側から大海に玉を追い出す」というテーマを軸に、繰り返し創作している。「大海」とか「意外性」に言及すると、これはいささか主情的すぎるように映るかもしれないが、見方を変えれば詰将棋は初めからチェス・プロブレムの理知的なテーマプレイとは別の路線を走っていたと考えることもできる。初代宗桂のテーマ創作の作例は以下の通り:『慶長版象戯造物』(「慶長造物」、1602)第23番、第31番、第34番、第40番、第48番、第50番)、『象戯馬法并作物』(「馬法」、1616)第64番(力草第78番)、第67番(力草第95番)、第76番(力草第100番)、第78番(力草第57番)、『術知象戯力草宗桂指南抄』(「力草」、1703、没後に刊行)第58番。また、慶長造物第50番は二龍追いの第一号局、馬法第45番(力草第6番)は龍追いの第一号局であるから(定説では手鑑第28番が第一号局だが、これは間違いか)、彼は龍の趣向にも傾倒していたことがわかる。

 また、1724年か或いはそれ以前に刊行された伊野辺看斉の『手段草』を久留島が読んで、テーマ創作法の発展を見届けた可能性も高い(手段草第17番と妙案第57番の対比を取り立てるまでもなく、久留島が『手段草』を取材した形跡は多数ある)。逆算法に関しては添田宗太夫(『秘曲集』、1752年刊行)と久留島のどちらが先か判断が難しいと思う。『勇略』は添田宗太夫の代作集という疑惑があるから(伊藤家はこういう話ばっかり)、『秘曲集』の中身を伊藤家と交流があったと推定される久留島が早期に把握して、その技術を習得した可能性は否定できない。このような時代背景の中で、疑いようも無く、久留島によって歴史上初めてシステマティックに導入されたのがドッキング法である。(狭義には、複数の素材を序盤から終盤に向けて並べてその間を手筋で埋めていくような創作法;広義には、複数の発想を統一的に表現する創作法。)

 久留島のドッキング法を用いた作例は以下の通り:[ある片道趣向を往復させるパターン]として妙案第73番(往復型金鋸)、妙案第61番(往復型銀鋸)、妙案第72番と橘仙貼壁第33番(往復型金追い)、及び橘仙貼壁第57番(往復型馬追い)。[ある趣向手順を別の場所で複数回行うパターン]として銀歩送りを複数回行う妙案第48番、第71番。[立体曲詰のパターン]は橘仙貼壁第105番、第106番。[ある趣向手順の後、別の趣向手順を同じ舞台で続けるパターン]として妙案第81番(三銀並べ打ちから三銀絞り捨てに接続)、橘仙貼壁第100番(逆夏木立型の趣向から妙案第81番型の後半に見られる絞り捨て趣向に接続)、橘仙貼壁第75番(前半の金横追いと後半の成香の横追いを同じ舞台で実現)。[複数の趣向(構想)手順を各々分離された領域で展開し時間軸上に並べるパターン]として妙案第29番(前半の銀剥がし、後半の飛車送りの接続;本作は銀剥がしの収束を模索する正算法と、後半の趣向手順と前半の趣向手順を共存させるドッキング法を同時に行っている)、妙案第33番(右部に金を横滑りさせる素材、左部に銀を縦滑りさせる素材を用意し、ミニ龍追いで両者を接続;5筋を境に、右と左の配置が互いに不干渉であることに注意)、妙案第50番(上部に呼び出し剥がしの素材、下部に飛車を押し売りする素材を用意し、両者を接続;前半のための配置(53銀、23歩)と後半のための配置(残り)が互いに不干渉であること、及び金の動き(前半)と飛車の動き(後半)が共鳴していることに注意)、橘仙貼壁第6番(妙案第72番型の金押し、橘仙貼壁第33番型の金追い、手鑑第40番を彷彿とさせる斜め金追いを三つ並べて接続)、橘仙貼壁第47番(前半の龍の押し売りから後半は妙案第73番型の金鋸に接続)、橘仙貼壁第54番(妙案第84番型の龍追いから妙案第71番等で見た銀歩送りに接続し、最後は橘仙貼壁第30番の龍鋸と好一対をなす縦型龍鋸で幕を閉じる;前半と後半の舞台を銀歩送りで裁断している)、及び橘仙貼壁第94番(右部に無仕掛け図式の素材、左部に妙案第18番の収束部分を並べ、両者を接続;配置の不干渉については先例同様)。

 久留島流のドッキング法は一つの見せ場に作意を集中投下するというよりは、複数の見せ場を並列に接続し、全体に平べったく作意を投影するような創作観を表していると思う(一種のグルーピング思考の表れ)。注意すべきは、妙案第79番(回転型龍追い)、妙案第80番(回転型馬追い)の類いは趣向手順を時間軸上に並べて間を埋めるというよりは、趣向手順とそれを繰り返す増幅機構を用意した結果として、掛け算式に趣向手順が再生産されているということで、これはドッキング法とは別の思考法である。同時代の『手段草』はわずかに第8番、第32番にドッキングの跡が確認されるのみだろうか。久留島の影響を受けたと思われる『無双』と『図巧』には数題ドッキングの跡が見受けられる(例えば図巧第3番は、逆算法というよりドッキング法の成果ではないだろうか)。

 ドッキング法は久留島特有の思考法の表れと見るべきだろうけれど、昭和後期以降は「思考法」などと仰々しい言葉を持ち出す必要を感じないほど、我々特に長編作家のDNAに浸透していったという印象を受ける。その潮流の源にいるのは、やはり黒川一郎氏と山田修司氏であろう。久留島と黒川、山田の間凡そ250年に私は未だに目立ったドッキング法の発展を認められずにいるけれど、両雄以後は様々なヴァリエーションが取捨選択され、急速に近代化を進めて行った。

 久留島が残した手法の中で、黒川一郎氏が換骨奪胎したのは[ある趣向手順の後、別の趣向手順を同じ舞台で続けるパターン]である(「矢来」(近代将棋70・7)、「谷渡り」(近代将棋75・3)他多数)。言わずもがな殊に彼が偉大であったのは、この創作が抒情的な風体を伴うことを示したことであった。他方、山田修司氏が「詰将棋パラダイス」1951年11月号において提示した「複式趣向」(「複合趣向」)は、久留島の射程を超越したドッキング法の新しい一面を示していた。以降、現代まで綿々と続く「掛け算趣向」や「モジュール化」の流行は改めて強調するまでもないだろう。最後に久留島の手法の中で黒川、山田以後いささか等閑に付されているのは[複数の趣向(構想)手順を各々分離された領域で展開し時間軸上に並べるパターン]である。これは現代では「冗長」とか「テーマの分裂」等と批評され忌避される傾向がある。

 時は21世紀に移る。「天人五衰」(詰パラ02・11、馬鋸×龍追い)の発表前、私は馬鋸と龍追いを粘土をこねるように混ぜ合わせ、「馬鋸龍追い」とでも呼ぶべき、句読点も掛け算記号も必要としない新しい表現型を捕まえることを夢想していた。そして今にして思えば、この類いの夢想は長編作家ならば誰でも持っており、その実現は彼らにとって一つの究極の目標だったのである(本当かって?取材はしてないけどマニアならこういう夢を見るはずです)。当時はその夢想を言語化することも盤上に表現することも出来なかったため、結局掛け算趣向に落ち着いたという経緯があった。

 技術論的に言うと、「天人五衰」は中央を斜めに走る配置を使って左上と右下を分断し、前者を馬鋸、後者を龍追いにあてがいつつ、それらを接続している。本作のような(移動)合駒を使わない接続法をもって山田流の複合趣向から峻別させることも可能だけれど、何れにせよ創作する立場から見たこの種の「A×B(複合)趣向」の要諦は、1951年以降約60年間、常にAとBを独立に構成することだったと言っても過言ではない。

 しかしこの分離テクニックはA、Bを互いの存在が脅かされないように並立させるわけだから、この道を邁進しても「馬鋸龍追い」のような類いの夢想を具現化できないだろう。そもそもこれを9×9盤で実現しようとする視野の狭さに無謀が胎動している。求められているのは拡大盤、夢想力、そして非分離型ドッキングの技術であった。そこで今回「茫々馬」の創作に際していささかこの意識を盤上に投影してみたのである。

 「茫々馬」の第三の目的は、非分離型ドッキングの一方式を提示することである。この作品に照らして言うと、これは即ちA(回転趣向)の成立に必要な領域の内部にB(進化版馬鋸)を埋め込むという方式である。回転繰り返し趣向の過去の作品を眺めると、(1) 回転する場所を確保して、その外側で馬鋸(菅野哲郎氏作「龍馬がゆくⅣ」)、入れ替えパズル(上田吉一氏『極光II』第15番、第84番)等を行うか、(2) 回転軌道の内部で閉じるような構想を用意していた(今村修氏作「花より団子」、「月より饅頭」、上田吉一氏『極光II』第4番、第5番等)。(引用作品の図面は「其の一 回転趣向の開発」をご覧ください。)(1)は分離型であり、また(2)には非分離型の香りがあるけれど、例えば玉を回転させながら、同時に回転軌道の内部で馬鋸をさせるとなるとやや難易度が高い嫌いがあったと思う。そこで本作は(1)、(2)両方からの逸脱を試みた次第。

 しかし出来上がりには不満も残る。ある縮尺で全体図を俯瞰すれば非分離型ドッキングに成功しているように見えるけれど、細部を拡大すると粗が目立ち始める。具体的には、構造上Aの内部にBを取り入れているけれど、その取り入れ方に分離型ドッキング法の定番手法(移動合駒によって馬鋸の空間と回転趣向の空間を分離する)が採用されているため、通常の「回転趣向×馬鋸」と代わり映えしない心象を観る者に与えてしまっていると思う。「ファースト・ステップ」としての価値を見出す他無い。

 非分離型ドッキングを徹底するヒントは、やはり複合趣向の伝統の外側に隠れていると思う。黒川一郎氏が発展させた思考パターンの延長では、上田吉一氏作「モザイク」(詰パラ75・3)、相馬康幸氏の二種類の剥がし趣向をドッキングさせる一連の試み、井上徹也氏作(詰パラ04・12)の「連移動趣向」と連取りのドッキング等があり、また「馬鋸龍追い」と関係が深いところでは河原泰之氏作「天と地と」(詰棋めいと11号、99・11)の馬鋸と馬追いのドッキング、大塚播州氏作「聖火」(詰パラ01・09)の龍鋸と龍追いのドッキングがある。更に、久留島以後の作例に乏しい[複数の趣向(構想)手順を各々分離された領域で展開し時間軸上に並べるパターン]は分離型ドッキングの典型のような装いだが、実は橘仙貼壁第54番や妙案第78番のように領域を分断した後の接続法に特徴を認められる物がある。具体的には、用意された角の効き筋上を龍が滑り回る(図巧第100番のような)印象とは対照的に、龍が自身の寄る辺を作り上げながら、それら構造物と共に流動的に玉を追いかけるような感覚であり、その体現である。その体現法に馬鋸等の趣向手順を潜り込ませる道がまだ残っている。

 畢竟「分離」、「非分離」も「句読点も掛け算記号も必要としない」ことも全て感覚的な話であるから、どこを目指すかは偏に個人の夢想力にかかっているが、その点に関しても夢想のスペシャリストである久留島から学ぶ事は多いと思う。ドッキング法の先に久留島が見た夢を、今も我々は追いかけている。

【引用作品図面】

Docking01 Docking02 Docking03

「茫々馬」と「百千帰」の解説 (5) 諸作品観の変革 に続く)

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