安南将棋の起源
[2014年8月6日最終更新] おかもとさんからの情報を追記
7月20日の第30回詰将棋全国大会のとき、おかもとさんから、1930年(昭和5年)10月の雑誌「朝日」に安南将棋の記事を発見したことをうかがいました。その後、記事自体を送付いただいたので、さっそく拝見すると、東京帝国大学講師の鈴木信太郎さんという方が「僕が発案した」と書いています。
安南将棋は変則将棋(フェアリー将棋)の一種で、昭和20年代の将棋雑誌に登場していることから、かなり古くからあることは確かですが、いつ頃誰が考案したものかわかっていませんでした。
1.安南将棋とは
安南将棋のルール、安南将棋の詰将棋については、筆者が1976年にカピタンに書いたことがありますので、一部引用します。
- 安南将棋の一族 (おもちゃ箱)
「1.安南詰
安南将棋は、その起源は不明ながらかなり昔からあり、その詰将棋も昭和20年代後半頃からいくつか見ることができます。安南詰・朝鮮詰・広東詰・アングラ詰などいろいろな名で呼ばれますが、ここでは安南詰の名称を使用することにします。
安南将棋のルール: 盤上にある任意の駒は、そのすぐ下に味方の駒が存在するとき、その駒の性能に変化する。その他は将棋に準ずる。
・打歩詰は性能に関係なく禁手とする
・二歩は動いて二歩になる場合も禁手とする
・行き所のない駒はかまわない
・玉も例外とはしない
・最初の配置は双方2、8筋の歩を一つ突いた形とする ・・・」
ルールについては、動き二歩はOKとするもの、行き所のない駒は発生した時点で負けとするもの、最初の配置は普通の将棋と同じとするものなど、いくつかのバリエーションがあります。
2.雑誌「朝日」の安南将棋の記事の発見
おかもとさんより。
「・・・ この記事は、「国立国会図書館サーチ」で「将棋」の語で検索して、「国立国会図書館デジタルコレクション」でデジタル化公開されているのを見つけたものです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1532621?tocOpened=1
国会図書館のデータでは、雑誌「朝日」の該当号は発行年不明となっていますが、この雑
誌に掲載されていた菊池寛の小説「青春圖會」は連載第1回で、この小説の連載期間は
1930.10-1931.12と判明しているので、この号は1930(昭和5).10で間違いないと思います。
p.176-177の「安南將棋の遊び方」は無署名ですが、目次ページには「本誌編輯局」の執
筆となっています。また、p311の懸賞詰将棋は、金子金五郎の普通詰将棋でした。
72と74歩75馬85歩95桂96飛/63銀64歩73馬81桂86と91歩94玉/持駒銀
p.177の「安南將棋に就て」を書いた鈴木信太郎は、Wikipediaにも項目があり、趣味の一
つに将棋とかかれていました。 ・・・」
3.記事の内容
面白くて誰方(どなた)にも出来る
安南將棋(あなんしやうぎ)の遊び方
□創始者は帝大の鈴木信太郎講師
「面白い將棋を御紹介致します。名づけてナンセンス安南將棋、それは實に奇妙な將棋です。しかも發案者は東京帝大佛文科の講師をしてゐる鈴木信太郎先生だと云ふから愉快です。 ・・・ 總ての駒は、自分のすぐ後にある駒と同じ力を持つ、と云ふのが、この將棋の規則です。 ・・・」
この記事自体は上記にあるように「本誌編輯局」の執筆のようですが、その後ろの方に鈴木講師名で次のような文章が掲載されています。
安南將棋(あなんしやうぎ)に就て
東京帝國大學佛文科講師 鈴木信太郎
「僕が發案したと言ふと大變大げさになつて来ますが、ナンセンスな動機から出來上つたものです。」
昔の漢字、仮名遣いは読みにくいので、以下は新字体、新仮名遣いにします。
「四年ばかり前でした。一高の若い生徒たちを相手に、水泳の稽古をしてやったことがあるのです。一練習了えた相の間に将棋をやろうと言うので、早速始めたわけです。自分で言うのもなんですが、素人としては相当に自信を持てる僕ですから、学生達をかたっぱしからなぎ倒したのです。ところが勝負事は誰しも負けたとなると口惜しいもので、一人の学生が独特なルールを以って、更に勝敗を迫って来た分けです。勿論否むはずもなく始めたのです。すると不思議なことには忽ち惨々な敗北でした。
その夜のことです。いくら思いなおしてもシャクに障るではありませんか、勝つべき相手に自信を台なしにされたとあって見れば、なお更ですからね。といったような動機から考え出したのが所謂安南将棋なるものです。 ・・・」
4.安南将棋の起源
上記の記事の学生の独特なルールというのが気になりますが、それに対抗して鈴木先生が考案したのが「安南将棋(あなんしょうぎ)」ということでしょうか。1930年の4年前ということで1926年(大正15年)の考案になりますね。
現在の安南将棋と比べると、読みが「あんなんしょうぎ」ではなく「あなんしょうぎ」であること、また「駒の並べ方も普通の将棋の通り」と書かれているので、指し始めで2筋、8筋の歩を突いておくルールではなかったようです。
指されているうちに、読み方が変わったり、よりおもしろくなるようにルールが改良されるのは良くあること。この記事からは、安南将棋の起源は、大正末期に東京帝大仏文科の鈴木信太朗講師の考案ということになるかと思います。
他に戦前の雑誌などで安南将棋について触れた記事をご存知の方がいましたら、ご教示いただければ幸いです。
2014年8月6日
おかもとさんから神代種亮の「安南将棋の話」について連絡をいただきました。 『ゲーム』2巻6号、どの図書館にあるとか、情報をお持ちの方はいらっしゃるでしょうか。
「以前、こんなことをTwitter(おかもと@Araiyayon)でつぶやきました。
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https://twitter.com/Araiyayon/status/480340952217690112
「文献継承 第22号」
http://kanazawa-bumpo-kaku.jimdo.com/%E6%96%87%E7%8C%AE%E7%B6%99%E6%89%BF-20%E5%8F%B7%E8%A8%98%E5%BF%B5/
に掲載された「校正の神様―神代種亮書誌」によると、1930(昭和5)年11月に、神代種亮が「安南将棋の話」を『ゲーム』2巻6号 に書いたとある。
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そこで、この『ゲーム』という雑誌の1930年11月号をどこかの図書館が所蔵していないか探したのですが、残念ながら見つけることができませんでした。「安南将棋の話」が書かれたのは、雑誌「朝日」の記事が出た直後なので、鈴木信太郎の記事の単なる紹介という可能性もありますが、現物を見ないことにはなんともいえないので、一応ご報告する次第です。(ゲームやパズルの収集家なら、こうした資料もお持ちかもしれませんね)」
2014年8月5日
磯田さんより、中島健蔵のエッセー「観戦専門」にアンナン将棋の記述ありとご教示いただきました。
「安南将棋の起源について、新しい話ではなく、鈴木信太郎考案の傍証になる話があります。中島健蔵のエッセー「観戦専門」です。初出は「将棋世界」昭和49年6月号で、わたしは『「待った」をした頃』(昭和63年、文春文庫)で見ました。(東京帝国)大学を出たころ「アンナン将棋というのがはやりはじめたことがある」とあります。「飛びぬけての将棋ずき」として鈴木信太郎の名前も挙がっています。中島健蔵は明治36年(1903)生まれなので、大学を卒業したころというと、大正14年(1925)ころで、雑誌「朝日」の記事とピッタリ符合します。」
朝日の記事では「あなん」とふりがながありますが、呼び方はこの頃から「アンナン」だったのかもしれませんね。
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