詰将棋問題と鑑賞用詰将棋
[2015年8月7日最終更新]
前に鑑賞派の視点として、詰将棋の楽しみ方にはいろいろあり、TETSUは解かない鑑賞派であること、鑑賞派として詰将棋がこうあってほしいということを書いた。詰将棋の大多数は解いてもらうことを前提に作られていて、最初から鑑賞されることを目的とした作品はそう多くない。もちろん、きれいに分けられるわけではないが、ここでは、前者を「詰将棋問題」、後者を「鑑賞用詰将棋」と呼ぼう。
これらは、明確に区別されることもなく、一緒に並べて出題・展示されてきた。システム上、評価が掲載されるのは(解説者と)解答者だけのことが多く、このような環境では当然、鑑賞用詰将棋も詰将棋問題として評価されることになる。いい評価を得ようと思えば、鑑賞用詰将棋の作者も詰将棋問題としても評価されることを意識して創作せざるを得ないわけである。
両立できれば問題ないと思われるかもしれないが、詰将棋問題で重視されるのは、ある程度の難解さ、(物理的、心理的)妙手であり、鑑賞用詰将棋で重視されるのは表現とテーマ、おもしろい、美しいといった点で、これらは相反することが多い。結果として、鑑賞用詰将棋の質の低下を招くことになっているのではないだろうか。
詰将棋は最初は詰将棋問題として始まったわけで、江戸時代でも鑑賞用詰将棋を意識して創作しているのは、久留島喜内、添田宗太夫など少数派にとどまる。その後も詰将棋問題としての出題がメジャーな中で、鑑賞用詰将棋は冷たくあしらわれていった。
例えば秘曲集のあぶり出しは、江戸時代のいろいろな風物を表現している点が素晴らしいが、だんだん、曲詰も妙手がないとダメ、とか詰将棋問題としての評価が影響しだして、鑑賞物としてはおもしろくない作りやすい平凡な字形の作品が幅を利かせるようになっていく。鑑賞用詰将棋として曲詰を見れば、もっときれいな形おもしろい形を表現したり、使用駒の趣向、立体曲詰など、進化の方向はいろいろあるはずである。妙手を入れたり余詰を防ぐため「形がちょっと崩れました」などという作品もよく見るが、形が崩れるならボツにする(または普通作として作り直す)ぐらいの矜持を持ちたいものだ。
趣向詰も鑑賞用にはおもしろくても、繰り返し部分は新たな読みが不要になり詰将棋問題としては簡単すぎることが多い。そのため、難しい序や収束を付けたりすることもよくあるが、趣向にマッチしていないと趣向自体の鑑賞にはマイナスになる可能性が高い。
鑑賞用詰将棋の発展を考えると、詰将棋問題との混在は、作者、読者、解説者いずれにとっても好ましい状態ではない。それなら解答付きの鑑賞用詰将棋専用のコーナーを作れば解決しそうだが、話はそう簡単ではない。解いて解答を提出し短評を添えるというスタイルが長く続いた結果、鑑賞者がコメントする文化がないので、解答を募集しないと短評が集まらない可能性が高く、これは作者にとって大きな不満になるだろう。
おもちゃ箱は鑑賞用詰将棋の比率が高く、コーナー分けを明確にしているので、それを理解して感想を書いてくれる方が多いが、以前解付きコーナーを提案したときは、やはり「解かないと感想が書けない」という意見があった。展示室の1か月の出題が終了してから解答を掲載して感想(短評)を募集とかすれば、解く人、鑑賞する人どちらも楽しめて良いのかも。今度一度試行してみようかな。
詰パラではデパートが鑑賞用詰将棋の出題率が高い。これは、デパートが解答順位戦の対象外であること、そして、担当の會場さんが鑑賞用詰将棋に理解が深い(鑑賞物としての詰将棋作品論参照)ことが影響しているのだろう。今後もその方向が続けば、デパートが鑑賞用詰将棋作家のよりどころになっていくのかもしれない。
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