摩利支天(橋本浩文)さん逝去
[2015年12月13日最終更新]
おもちゃ箱掲示板にまた訃報が・・・
ミーナさん「摩利支天のペンネームで活躍された、橋本浩文さんが亡くなりました。まだ55歳の若さでした。 ・・・」
橋本浩文さんは1960年生まれ。詰将棋作家として、主に摩利支天のペンネームで詰将棋パラダイスを中心に作品を発表、2014年2月に入選100回に達し同人作家になりました。ユニークな作風で、300手以上の超長編作品も多く、1996年に発表した馬詰恒司さんとの合作「FAIRWAY」611手は看寿賞を受賞しています。
摩利支天さんの作品は命名がおもしろく、例えば夢銀河に収録された5作品は「星空からのエレベーター」「シーサイドメモリー」「メリーローランの島」「FreeBallaen」「月夜のゴンドラII」といった具合。個人作品集はまだまとまっていませんでしたが、札幌で行われた第20回詰将棋全国大会のとき、制作活動集「自由な風船」を作成しています。
四百人一局集のキャッチフレーズで、「ある人は神出鬼没と呼び、またある人は天衣無縫という。」と書かれているようにアクティブな活動で知られ、来月で300回となる東京詰将棋工房を立ち上げたのも摩利支天さんでした(詰工房ができたとき)。今頃は天国で詰将棋会合を開いているかもしれませんね。ご冥福をお祈りいたします。
2015年11月29日
- 詰将棋鑑賞その5 (詰将棋の街路樹)
「<詰将棋パラダイス2014.7ヤング・デ・詰将棋700 摩利支天>
前回(詰将棋鑑賞その4)触れたように摩利支天さんに哀悼の意を込めての作品鑑賞となります。摩利支天さんは私も通っている詰工房の立ち上げに関わった人で1996年に馬詰恒司氏との合作「FAIRWAY」で看寿賞受賞、2014年には入選100回で同人作家になっています。・・・」
2015年11月24日
- 摩利支天さん追悼 清水英幸さん (おもちゃ箱掲示板)
「詰将棋から随分と離れていますが、駒谷さん、摩利さんの訃報に驚いています。摩利支天さんの追悼文を自身のブログにアップしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/aima99hide/67892736.html 」
- 摩利支天さんのこと (博物館訪問家・ひでのブログ)
「詰将棋作家の摩利支天さん(本名:橋本浩文)が亡くなったとのこと。まだ55歳だった。自分は、もう10年も前に詰将棋パラダイスの購読をやめ、詰棋界から去った人間であるが、かつて摩利さんには随分とお世話になったので、やはり追悼文を書かなければなるまいと思う。 ・・・ 月並みだが、ご冥福をお祈りしたい。合掌。」
2015年10月31日
- 摩利支天さん逝去 (my cube)
「・・・ 摩利支天さんと初めてコンタクトを取ったのは2010年2月10日。 ・・・ それからメールで摩利さんとのやりとりが始まるわけですが、こちらがメールを出してそれに返信する早さが半端ではありません。1日に3通ほど届くこともありました。すごい人だ(ある意味ヤバい人だ)と思いつつも、でも詰将棋の腕は前歴が証明していて、そして僕にとってはその時点でほぼ唯一の詰将棋仲間でした。「鈴川さんは長編の才能がありますよ」などと言われ、挑戦してみた記録がこの記事やこの記事にも。(過去記事は今見ると文体とか内容とか恥ずかしい!) コメント欄にいる「こじはる」さんが摩利支天さん。アイドルの追っかけも大好きだったようで、AKB48のメンバー名をそのままペンネームにしていてちょっとどうよと思っていました 笑。ともかく、そうやって僕の創作技術を高めることに一役も二役も買ってもらったのが摩利支天さんでした。 ・・・ 悲しみよりも、僕にとってかけがえのない方を失ったような喪失感のほうが先立ってしまいます。11月号詰パラにも、大学院と彩棋会で入選されているではありませんか。亡くなったことが未だに信じられません。」
- スーパー摩利支天 (A Nice Problem)
「摩利支天氏の訃報に接し、何か書かなければいけないと思った。
氏とは「メル友」として長い間やり取りさせていただき、特に創作初期の頃は大変お世話になった。氏から得た詰キストの人脈と大量の作品データは、私の大切な財産になっている。また、忌憚の無い(=小生意気な)意見を述べ、時に説教を垂れる若輩者の私を、一批評家として扱ってくれたことは忘れられない。
晩年は、闘病生活を送り、薬の副作用に苦しんでおられるようだった。それでも創作面では超長編や「トリプル七種合」といった野心的な構想に取り組み、交流面では石本仰、鈴川優希、長谷川大地などの若い才能をいち早く見抜く炯眼を発揮されていた。氏は最後まで命がけで詰将棋に取り組んでいたと思う。
「ブルーミーバルーン騒動」(詰パラ2005.7)の前後から、氏はかなり意図的に「パロディ作」を作り続けていた。しかしこの背後の思想と情熱はあまり広く認知されていない。「私の居所やコメントは公開フリー」と生前仰っていた氏のスタンスを鑑み、2005年頃に交わされたメールから、氏のコメントを抜粋して残しておきたいと思う。
摩利さん、さようなら。そして安らかにお眠りください。 ・・・」
- 【訃報】 (詰将棋パラダイス メモ)
「桑原辰雄氏逝去
詰将棋作家の桑原辰雄氏が10月22日に亡くなられました。82歳でした。
摩利支天氏逝去
詰将棋作家の摩利支天氏が9月14日に亡くなられました。55際でした。
両氏のご冥福をお祈りいたします。」
- Re: 訃報 kamuさん (おもちゃ箱掲示板)
「駒谷さんに続いて、摩利さんもですか… 春頃から連絡が取れなくなっていて気にはしていたのですが。あぁもっと話をしてれば良かったなぁ。ご冥福をお祈りします。」
- もーたー@motordrive2
「彼と電話で最後に話したのはおそらく私が社会人なりたての頃。彼がガソリンスタンド店員をしていた時ではないかと思う。車の整備関係の話をしたのを覚えているから。学会入信とかの話はたぶん後日、ほかの人から聞いた。」
- YANAGI @大阪@misimaikeda
「ある日突然、摩利支天氏は岐阜の私のアパート(兼編集部)に転がりこんできた。20代半ばの彼は国鉄の職を捨てて北海道からはるばるやってきたのである。私より5歳上の彼は、詰パラの助手をさせてくれ、と言い出した。」
「その日から奇妙な共同生活が始まった。特に干渉はしなかったので、お互い自由に仕事をして自由に遊んでいた。彼は近所にある私の実家にも頻繁に顔を出し、両親や弟たちと食卓を囲んでいた。」
「彼は夜になると、私の部屋の電話機を自分の部屋へ引っ張り込んでは、いろんな詰キストと長電話をしていた。当時まだ無名の田島秀男とは特に意気投合していたようで、よく話し込んでいた。」
「翌月、電話代7万円の請求書が届いた。私はあきれてしまったが彼は電話も大事な仕事だと主張した。こんな居候生活が長く続くはずもなく、やがて彼は私の前から姿を消した。彼との思い出はこれくらいしかない。あとはすべて忘れてしまった…。(終)」
2015年10月30日
- 訃報 ミーナさん (おもちゃ箱掲示板)
「摩利支天のペンネームで活躍された、橋本浩文さんが亡くなりました。まだ55歳の若さでした。いっしょに詰工房にも行きました。ショックです。ご冥福をお祈りします。」
- 悲しいなぁ 変寝夢さん (おもちゃ箱掲示板)
「摩利さん、逝っちゃいましたか。寂しいなぁ。ACTの準備で、名簿使って皆に電話したりワープロで作った手紙送ったたのがいい思い出です。彼のとった行動が原因でよく思わない人もいるのでしょうが、私にとっては師匠、恩人それ以上の存在でした。四百人一局集での摩利さんと私(田島君と谷川さんの間)のプロフィールを読んでいただければ理解して頂けると思います(打ち合わせしてないよ)。今でも同じ質問をされたら「摩利支天」と答えることでしょう。さようなら、摩利さん、有り難う。」
- Toshiya@ToshiyaIkeda
「まじか。正直うっとおしいと思ったこともあったが、自分を会合やら棋友の家やらに連れ出してくれたのは彼なので、今まで何のかんの続けてこれたのは彼のおかげもあったかと。ご冥福をお祈りします」
- もーたー@motordrive2
「中高生時代に余詰返送された後、彼のアドバイス付箋が付いた投稿用紙を今も持っている。つい先日、改作に成功した。彼が導いてくれたのだろうか。合掌。」
- 鈴川優希@Yuki_Suzukawa
「摩利支天さん亡くなったの!?」
「数年前までメールでやりとりしてて合作も2つ発表したことがある。ショック……。」
「追悼記事あげとかないと……」
- 小山真代@oyamamayo
「えぇえええええ。 摩利支天さんが亡くなったのか、、、まだ若すぎだろ。。」
「中学生の時、人懐っこい独特の文面で突然メールが送られて来た。 差出人は摩利支天。 ウブな私は「看寿賞作家だ!」くらいにしか思っていなかったが、次第に彼が醸し出す危ない詰将棋マニアの臭いに惹かれ、電話やメールで頻繁にやりとりをするようになる。」
「氏には創作ノートを全部見てもらったり過去作品の膨大なDBを頂いたりと、創作初期にかなりお世話になった。 その後、こちらの成長とともに詰将棋観の違いがあらわになった(?)せいか疎遠になってしまっていた。」
「氏は「FAIRWAY」や「星空からのエレベーター」などユニークな長編趣向作も手掛ける一方、傍目からは同じような竜追いをたくさん発表したり、人のプロットの改良をそのまま発表するなど理解に苦しむところもあった。」
「しかし、「詰パラがコンビニに並ぶようにしたい」と語っていた情熱はホンモノで、きっと氏なりの考えがあったのだろう。 (私はこんな空想世界の遊びは好きな人だけやってれば良いと思いますが 笑) 今となってはあの長電話が懐かしい。 安らかに眠ってください。」
- YANAGI@大阪@misimaikeda
「http://shogipic.jp/v/6Bf 詰パラ1983-5 はみだしっ子
摩利支天氏との懐かしい合作。当時から他人の作品をいじる癖があった。橋本姓は守正、哲、樹、孝治などの一流作家が活躍していたので、本名を嫌っていたようだ。デビュー作は「手稲太郎」という筆名だった。」
- ひっぽ・ぽたます@acceleration
「近年はずっと敬遠気味だったんだけど、彼はACTの呼びかけ人だったんだよね。殺しても死ななさそうだったwから、そのうちどこかでまた会いそうに思ってたけど、残念。」
「あの山っ気の強さがなあ…。詰将棋以外ではあまりうまく行ってない人、という印象だった。でも、詰将棋では成功したと言えるのでよかったかもしれない。」
「改めてツイッターのプロフィール見ると、もしかしてアルコールなのかな…。だとしたらよけいに残念。」
「人なつっこいと言うか馴れ馴れしいと言うか、あのキャラはよく憶えてるんだけど、作品が一つも思い浮かばないんだよね。それも彼らしいかも。」
「もちろん、プロフィールに、うつ、とあるのは気になるけど、あまり深く考えたくない…。」
「あの世で看寿や奥薗幸雄に合作持ちかけてうっとうしがられてないだろうかw」
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コメント
摩利さんとは工房夏合宿で2回千葉太東へ来ました、羊の詩6集に写真を載せたのは偶然でしょうか、衝立将棋をしたのがついこの頃のような感じがします。冥福を祈ります。加賀孝志
投稿: 加賀孝志 | 2015.11.04 23:13