[2024年1月4日最終更新] 磯田さんからのご教示を追記
今年2016年も年賀詰展示室にはたくさんの年賀詰が掲載されました。2月10日までお気に入り投票を実施しています。全部解く必要はありませんので、ぜひご参加ください。1月24日(日)の詰工房(大井町駅前「きゅりあん」で13時~)で、恒例の年賀詰鑑賞会を行いますので、都合の付く方はどうぞお出でください。
年賀詰は、曲詰で「2016」「16」「十六」「28」「二八」「1」「一」「サル」「申」などの形を作ったり、玉位置、手数、手順などいろいろな要素に趣向を凝らして新年を祝う詰将棋で、年賀状やブログなどに掲載されます。現在ではすっかり新春の風物詩となった年賀詰ですが、いつから始まったのでしょうか。
さかのぼれば、江戸時代の大小詰物あたりに起源がありそうですが、ここでは年賀状に書かれた詰将棋を対象に考えます。大小詰物については下記をご参照ください。
年賀状が盛んになるのは1900年頃かららしいので、もしかしたら将棋月報あたりにも年賀詰の記述があるかもしれません。残念ながらその頃の資料は持っていないので、まずは詰将棋パラダイスで探してみました。
詰パラ(旧パラ)の創刊は1950年。その8月号(1巻5号)に「年賀状懸賞付大道棋結果発表」という記事がありました。詰パラの前身である紳棋会報愛読者300名への年賀状で懸賞付大道棋が書かれていたとのことですが、これは年賀の意図がなさそうなので年賀詰とはいいにくいですね。
そして、次の年1951年の3月号(2巻2号)。賀状曲詰という記事があって、山田修司氏の年賀状詰将棋が紹介されています。「オメデトウ」の5局組曲のあぶり出しで、これが初めての年賀詰になるのでしょうか。全局持駒なし、詰上り都玉、19手(山田氏の19才から)で統一というからすばらしいですね。もっと古い年賀詰がありそうですが、とりあえず、この記事を紹介しておきます。これ以前の年賀詰をご存知の方はご教示いただければ幸いです。
2016年1月21日追記
おかもとさんから明治45年(1912年)の年賀詰があるとご教示いただきました。ありがとうございます。年賀状に書いたのかははっきりしませんが、意図が明確なので年賀詰と呼んでよさそうです。
1月20日、おかもとさんより
大正5年に発行された高濱禎著『詰将棋精選』の第14番は「マ」、第15番は「ツ」の初形曲詰で、「明治四十五年の春を迎へて之を作る」という添え書きがあるので、年賀詰といえるのではないかと思います。
また、第45番は「明治四十五年一月作 賀正 舞ねずみ」という添え書きがあり、明治45年は子年なので、これも年賀詰の一種といえそうです。
それから、「将棋月報」の大正15年1月号には、丸山正為の新年詰将棋と題するあぶりだし曲詰「オ」「メ」「デ」「タ」「ウ」が掲載されたそうです(「詰棋めいと」23号p.22-23参照)。
高濱禎作の「明治四十五年一月作 賀正 舞ねずみ」を紹介しておきます。 題名通りの楽しい年賀詰ですね。
▲6六龍 △4五玉 ▲4六龍 △5四玉
▲4四龍 △6五玉 ▲6四銀成△7五玉
▲7四成銀△6五玉 ▲6四龍 △5六玉
▲6六龍 △4五玉 ▲4六龍 △5四玉
▲5五歩 △6五玉 ▲7六龍 △5五玉
▲4六銀 △5四玉 ▲5六龍 △4三玉
▲3二銀 △3三玉 ▲2三と △4二玉
▲4五龍 △5二玉 ▲4三龍 △6一玉
▲6三龍 △6二歩 ▲7二と
まで35手詰
2024年1月4日追記
「初めての年賀詰」の話題を詰パラ2024年1月号のおもちゃ箱だよりに書いたところ、磯田さんから下記のご教示をいただきました。ありがとうござます。
趣旨からして、この作品が作られたのは明治45年の正月か、あるいは前年の暮れころと分かりますが、この曲詰の初出は『詰将棋精選』と早のみこみされそうです。『詰将棋精選』は初版の発行が大正5年で、明治45年とは随分隔たりがあります。実際は、この初出は年賀詰としてピッタリの『将棋雑誌』明治45年1月号でした。
ということで、創作後すぐに発表されていたようです。将棋雑誌は明治44年より発行されていた「関西将棋研究会」の機関誌で、編集発行人が高濱禎でした。
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