カテゴリー「おくやみ」の記事

角建逸さん逝去

[2025年1月13日最終更新]

Sumi 2025年1月6日、詰パラHPメモで、【訃報】角建逸氏逝去
 「角建逸氏(本名:角研一)が2024年12月30日に亡くなられました。享年67歳。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。」

昨年の12月29日には角さんのX、解答欄魔@k1sumiでたま研新年例会の告知があったばかりなのでびっくりした。

角さんは2018年に門脇賞を受賞、写真は全国大会での受賞時のもの。平成29年度門脇芳雄賞の記事より角さんの詰棋界での実績を引用。

角建逸さんは、詰将棋作家で看寿賞、塚田賞を受賞しているが、解説者としても著名で、「詰将棋探検隊」は詰将棋の楽しさ、奥深さを伝えた名著。将棋世界の編集長として活躍したときには、「ミクロコスモス」の解説や小林敏樹さん、上田吉一さんなど超一流の作家の詰将棋作品集を付録に付け話題になった。

「将棋魔法陣」など角さんの編集で出版された詰将棋作品集も多く、近年は角ブックスとして自ら詰棋書の出版を手掛け、詰将棋解答選手権の年鑑や短編名作選、詰将棋作品集(「信濃路」「からくり箱」「一番星」・・・)など多数の詰将棋本を編集、出版している。

夕刊フジで詰将棋を出題したり、詰将棋入門書を執筆したり、詰将棋の普及という観点でもいろいろ活動している。

(引用終わり) 

多彩な活躍で、詰棋界に大きな功績を残した角さん。私もおもちゃ箱やたま研、コンピュータ将棋選手権などいろいろな面で大変お世話になった。感謝申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。


2025年1月13日

2025年1月12日

2025年1月11日

2025年1月10日

2025年1月9日

2025年1月8日

  • 瀧澤武信(コンピュータ将棋協会副会長)
    「弊協会で(世界)コンピュータ将棋選手権を始めた(第1回は6チームが参加して1990年12月2日に千駄ヶ谷の(旧)日本将棋連盟2階の「研修室」で行われました)ときから選手権運営のアドバイスを賜り、実際に運営をご一緒いただきました。
    その後、日本将棋連盟主催の「王者戦」という選抜チーム(選手権の上位8チーム)による同一ハードウェアでの大会(1999年、2002年、2005年の3回開催されました)の運営でも大変お世話になりました。2006年5月に「一九九〇年の第一回コンピュータ将棋選手権以来 永年にわたりコンピュータ将棋選手権の運営に協力し スムーズな進行やメディアへのアピール等を通じて 選手権やコンピュータ将棋の発展に寄与されたことに感謝する」という感謝状をお贈りできたことが思い出となってしまいました。
    最近も詰パラでお名前を拝見していましたので元気でいらっしゃると思っていただけにショックです。ご冥福をお祈りいたします。」

2025年1月7日

2025年1月6日

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服部彰夫さん逝去

[2024年12月4日最終更新]

Hattori本日、鳥本敦史さんより連絡があり、服部彰夫さんが亡くなられたとのこと。

 鳥本「本日、郵便が届いていて喪中ハガキでした。
 服部彰夫さんの息子さんから。
 11月23日に亡くなられたとのことです。89歳。」

服部彰夫さんは、昭和10(1935)年10月13日生まれで、詰将棋パラダイス1951年9月号で初入選以来多数の詰将棋を発表。2005年には作品集「砂丘」を発行。その後も活発に発表を続け、2020年には「古武士の詩」を発行した。

詰将棋の発表は詰パラ中心で、そのほか徳島新聞にも100作以上発表されている。おもちゃ箱でも、「砂丘」出版時の記念出題や年賀詰を提供いただいた。

あぶり出し曲詰を得意とし、「イロハ」48局をはじめとして、多数の曲詰を創作している。

名古屋方面の詰将棋グループ「香龍会」の重鎮として、全国大会の開催など尽力された。写真は2013年、名古屋での詰将棋全国大会懇親会のときのもの。

ご冥福をお祈りいたします。

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長谷繁蔵さん逝去

[2021年12月31日最終更新]

Hase詰将棋作家として、また解答強豪として活躍された長谷繁蔵(天津包子(アマツカネコ))さんが逝去との報。
(写真は詰パラより。1997年7月、詰将棋全国大会で10回参加者表彰にて)

  • 長谷繁蔵(天津包子)さんを偲んで (Web Fairy Paradise 第162号(PDF))
     「数日前にツイッターを見ていたら、長谷繁蔵(PN.天津包子)さんが亡くなられたと書かれていた。心よりご冥福をお祈りします。 ・・・」
  • 第296回創棋会例会報告 (創棋会通信+α
     「・・・ 最後は長谷繁蔵さんの追悼。詰パラ編集部から連絡があり、長谷さんが11月にお亡くなりになったとのこと。長谷さんは1936年12月生まれで享年85歳。創棋会発足時のメンバーのお一人で、同人作家。入選200回を超える実力者ですが、解答強豪でもあり、例会で投稿作の解図に取り組まれていた姿を記憶している方が多数おられました。「あさぎり」や「凌雲」に収録されている氏の作品を鑑賞して、ご冥福を祈りました。・・・」

b001長谷さんは伝統詰将棋だけでなく、フェアリー詰将棋も手掛け、おもちゃ箱の展示室にも作品、解答をよく寄せられていました。くるくる、大道棋、協力詰、年賀詰などたくさんの作品を発表されています。2019年7月の展示室を最後に解答が途切れ、心配していたのですが・・・。

長谷さんの協力詰(ばか詰)で有名なのが、この作品。きれいな形でいかにも簡単そうなのにプロ棋士も悩ませたということで話題になりました。

このほか年賀詰などの長谷さんの作品がWeb Fairy Paradise 第162号の「長谷繁蔵(天津包子)さんを偲んで」で紹介されていますので、ごらんください。

ご冥福をお祈りいたします。


2021年12月30日

2021年12月26日

2021年12月23日

2021年12月21日

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佐藤司さん逝去

[2018年6月11日最終更新]
Zt32h10 詰将棋作家・解答者として、詰将棋を楽しまれていた佐藤司さんが、5月30日に急逝されたとの報。

詰将棋パラダイス誌で筆者が担当している大道棋よもやま話では、解けないときでも盛り上げるためということで解答を送っていただき、とてもうれしかった。

詰将棋全国大会にもよく参加し、2011年には10回参加で表彰されている。写真は2016年、倉敷での全国大会懇親会で北浜プロと(クリックで拡大)。たま研にも毎回参加されていて、いつも楽しそうな姿が印象に残っている。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


2018年6月10日

  • 第330回詰工房例会報告 (ベイと祭りと詰将棋
     「・・・ ■悲報。佐藤司さんが急逝されたとのこと。全国大会やたま研の常連で、今年1月のたま研でお会いした時もとてもお元気そうだったのに…。とにかく明るくて、周りの者を皆笑顔にするという特技の持ち主で、お酒の席ではなくてはならない存在でした。まだ57歳。私よりも若いというのに。急ぐ必要なんかないのに。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 ・・・」

2018年6月8日

  • sorim@sorim_naoki
     「そんな…… おもちゃ箱で見るお顔は記憶にあります。楽しくお話しさせて貰ってめっちゃ笑ってお声も大きくて気さくな方で、そんな一時をご一緒させて貰って、幸せいっぱいな気分にさせて貰って…… あの方が?信じられない。 ご冥福を、心からお祈り申し上げます。」

2018年6月5日

  • 佐藤司さんのお通夜 荒川貴道さん (おもちゃ箱掲示板
     「昨晩、参列させていただきました。詰将棋関係の方もいらしていて故人のお人柄が偲ばれる席でした。佐藤司さんのご冥福をお祈りいたします。」
2018年6月4日
  • 解答欄魔@k1sumi
     「佐藤司さんの通夜には、詰将棋仲間6人が参加。みんなが口を揃えて言うのが、きさくな性格や楽しかった会話のことなど。佐藤さん、ありがとうございました。居残っていたおかげで、弟の正さんとご挨拶できた。」
2018年6月3日
  • taka-o@route188
     「北海道ご出身の佐藤司さんは横浜線エリアの在住も長いかたで、札幌横浜町田の全国大会をはじめお会いする機会もよくあり、いつも佐藤さんに乗せられるように会話が弾んでいました。詰パラのデパートにも毎月回答を頂いてて、コメントを読むのが楽しかったです。ご冥福をお祈りします。」

2018年5月31日

  • 佐藤司さん逝去 (詰将棋の会合 香龍会
     「今朝見た「おもちゃ箱」で佐藤司さんの逝去を知り、驚きました。たま研の食事会では席が近くなることが多く、いつも話しかけられて楽しいひとときを過ごしました。 ・・・ たま研でもうあの楽しい会話ができないかと思うと誠に残念です。謹んでご冥福をお祈りします。」
  • たちおか@3333_3333_3333
     「初めて参加したたま研で佐藤司さんに話しかけていただき、とても楽しい時間を過ごせました。ご冥福をお祈りいたします。」

2018年5月30日

  • 訃報  追伸 柳田明さん (おもちゃ箱掲示板
     「佐藤司さんが急逝されたとの情報が北村憲一氏から入りました。享年57歳。詳細は分かりませんが、朝起きてこなかったという話です。
    通夜6月4日(月)18時より 告別式5日(火)10時より
    横浜市北部斎場(横浜市緑区長津田5125-1)
    私もそれほど親しいという関係ではなにのですが、一応お知らせいたします。
    佐藤司さんのご冥福をお祈りいたします。(柳田)」
  • 御連絡 山口耕司さん (31期の「三年春秋」
     「非常に残念なお知らせです。同期の佐藤司くんが、本日30日朝お亡くなりになったとのことです。ショックです。ご冥福をお祈りいたします。」
    Re: 御連絡 マサイチニさん
     「奥様からお電話いただきました。寝ている最中の急性心筋梗塞だそうです。残念です。」
  • 解答欄魔@k1sumi
     「忙しさにかまけて、「たま研」8月例会の案内メールをまだ送っていなかったのだが、「おもちゃ箱」で佐藤司さんの訃報を知る。 常連参加者で愉快な方だった。ご冥福をお祈りします。」
     「作品投稿もなく、普段は解答も送らない。もしかすると積読会員だったり。 でもそういう大勢の方がいるからこそ、詰パラは成り立っているんでしょうね。」
  • 青のKK@kkosaka6
     「氏は、ある意味典型的な「詰将棋愛好家」だったのではないでしょうか。全国大会でお会いする度に「詰棋界を本当に支えているのは、こういう人たちなんだな」と思っていたのですが…。心よりご冥福をお祈りします。」
  • Guten Tag@GuchanTag
     「信じられません。同い年で全国大会でもたま研でもでもいつも楽しくお話させて頂いていたのに。毎月解答も頂いていたのに。」
     「解答はほぼ毎月されてました。ペンネームだったので知られてないかもですが。」
     「この時の全国大会には確か谷川先生も参加されてて表彰の時苦笑されてた気がする。 http://toybox.tea-nifty.com/taikai/2011/07/post-da8d.html
     「6月号でも短評を採用させて頂いていました。」
  • 近藤 郷@nikuudonnko
     「お通夜、顔を出す予定です。(時間に少し遅れるけれど……)」
  • koiz@kazemidori
     「佐藤司さん!(私より)若くて元気な方という印象だったのでショックです。残り時間が少ないという事を意識しないといけませんね。 ご冥福をお祈りいたします。」

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今川健一さん逝去

[2018年4月21日最終更新]
解答強豪で、おもちゃ箱の展示室や推理将棋にも良く解答を寄せていただいた今川健一さん(隅の老人Bさん、後憂生さん)が2018年2月24日に逝去との報。

闘病中と伺っていましたが、昨年11月、12月にも推理将棋の解答が届き、まだお元気と思っていたのでびっくりしました。

推理将棋第117回解答の総感想
 「ヒントを読んで、3題解決。これで今年も暮れて行く。
さて、来年は如何なりますや?
それでは、みなさん、良いお年をお迎え下さい。」

隅の老人Bから後憂生にハンドルネームを変えたこと、「来年は如何なりますや?」という文面から推察すると、残された時間が短いのを悟っていたのかもしれません。

Nenga200610 今川さんは主に解答で活躍されていましたが、作家としても詰パラ、近代将棋などに10数作発表しています。

右図は12年前の年賀詰展示室に掲載された「ダックスフント」。隅の老人Aさんの同形のあぶり出しとの姉妹作というおもしろい趣向で、印象に残っています。

数年前には小川悦勇さんの作品集「雨滴」を電子版でまとめる(棋譜ファイル、データベース付き!)など、歳をとっても新しいことに積極的に挑戦されていました。

長い間熱心な解答、そしてあたたかい短評をいただき、ありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りいたします。


2018年4月20日

2018年3月31日

  • taka-o@route188
     「詰パラ4月号や各媒体を見て思い出さずにはいられませんが、今川健一さんは、担当者時代の私も、一作者、一読者としての私も、寸評を楽しみにしていた解答者のお一人でした。同時代に詰将棋に関わった者として、解きがいのある作品をお送りできていたら幸甚です。謹んでご冥福をお祈りします。」

2018年3月20日

  • Web Fairy Paradise 第117号(PDF) (Web Fairy Paradise
     「・・・ 今川健一氏追悼出題 ・・・ 今川健一さんが2018年2月24日にお亡くなりになられました。心よりご冥福をお祈り致します。今回、ペンネームでもある「隅の老人Bさんに捧ぐ」と題して1作供養になるかはわかりませんが出題します。解答並びに、今川さんへの一言、思い出等を募集いたします。たくさんの解答でにぎやかにお見送りしたいと思いますのでよろしくお願いします。(コメントのみでも可) ・・・」

2018年3月18日

  • 今川健一さんを悼む (冬眠蛙の冬眠日記
     「このブログでの詰将棋出題に良く解答をいただいていた今川健一さんが亡くなられたとのことで、とても残念です。短コンの解説でも好んで評を使わせていただいていましたが、ポイントをつかみつつも、自分の好みをうまく表現される方でした。難解な作品も普通に解答されていた印象ですが、どちらかというと易しい作品に対して高評価をされており、昨今の詰将棋の風潮を作る一因になったのでは、と感じています。天国でも引き続き詰将棋を楽しんでいただきたいと思います。ご冥福をお祈りいたします。 ・・・」 

2018年3月8日

  • 輝夜神月@boku_ikiron
     「独特で、それでいて凄く作者目線に立った短評を書いてくださるのが一作家として嬉しかったです。 ご冥福をお祈りいたします。」

2018年3月7日

  • 訃報 (たくぼんの解図日記
     「解答強豪の今川健一さん(PN.隅の老人Bさん)が2月24日にお亡くなりになられたとのことです。(小川悦勇さんより連絡いただきました)
    あの独特の短評がもう読めないと思うとさびしいです。
    最近訃報が相次ぎなんだか辛いです。」
  • 占魚亭/鮎香之介@sengyotei
    「隅の老人Bさん(=今川さん)に短評をいただいたのは、1回だけかも知れない(おもちゃ箱「カピタン展示室」で発表したAndernach)。」

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二上達也九段逝去

[2017年2月18日最終更新]
詰将棋の名手として知られる二上達也九段が2016年11月1日に肺炎で死去(84才)との報。多数の詰将棋を創作した二上九段、昨年、その集大成ともいうべき二上達也九段「将棋魔法陣」が発行されたのもまだ記憶に新しい。謹んでご冥福をお祈りいたします。

関連情報: 二上達也九段「将棋魔法陣」


2017年2月18日

2016年12月22日

2016年12月20日

2016年12月19日

2016年11月24日

2016年11月21日

2016年11月13日

2016年11月10日

2016年11月9日

2016年11月8日

2016年11月7日

2016年11月6日

2016年11月5日

2016年11月4日

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駒場和男さん逝去

[2016年11月19日最終更新]
Komaba2 詰将棋作品集「ゆめまぼろし百番」の著者で、看寿賞、塚田賞を多数受賞している詰将棋作家、駒場和男さんの逝去の報。

【訃報】駒場和男氏逝去 (詰将棋パラダイス メモ
「詰将棋作家の駒場和男さん(看寿賞3回受賞)が6月に亡くなられました。享年82歳でした。」

「ゆめまぼろし百番」ではTETSUも検討に加わらせていただいた。発行されたあと、最近はしばらく作品を見ないので心配していたのだが・・・

『図巧』や『無双』を超えることを目指していた駒場さん、今頃は看寿や宗看と作品論をかわしているのだろうか。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(写真は1996年第3回詰研大会のとき。詰棋めいと第22号より)

関連情報: 駒場和男「ゆめまぼろし百番」


おもちゃ箱詰将棋メモで紹介した駒場作品

「詰将棋 トライアスロン」 (借り猫かも


2016年6月21日

  • 筒井 浩実@un_cocoo
     「駒場さんの訃報は板橋貞夫さん(詰パラ解答者)からの電話で知りました。 なぜ僕のところに電話が来たかというと、「ゆめまぼろし百番」の短評を依頼したときの連絡先に僕の番号があったかららしい。 若気の至りで、けっこう生意気な短評を送った記憶しかない。」

2016年6月20日

  • 【訃報】駒場和男氏逝去 (詰将棋パラダイス メモ
     「詰将棋作家の駒場和男さん(看寿賞3回受賞)が6月に亡くなられました。享年82歳でした。」
  • 詰将棋指し@nenehimapapa
     「駒場和男さんの還元玉都煙『父帰る』に出会ったのは16歳、二段で苦しんでいた頃だった。気品あふれる初形、ただ駒が消えていくだけではない神業かと思えるような手順。すっかり心を奪われ、煙詰の世界に引き込まれた。こんな作品がつくりたい。6畳一間のアパートで、毎晩朝まで創作にのめり込んだ。」
     「創作のコツなど何もわからない。手探りで少しずつ逆算をしていく。10枚が15枚になり、ようやく20枚まで消えるとそこで行き詰る。ああ、もうできないのかな。そんなことを思う夜は『父帰る』を並べた。初めて出会ったときのように心が震え、情熱がよみがえる。」
     「完成した煙詰はただ消えるだけのものだったが、大きな自信になった。いつか『父帰る』のような作品を・・・」
     「駒場さんとは詰将棋全国大会で同席したことはあるが、お話しはできなかった。遠くから憧れの人をながめていた。『父帰る』は私にとってナンバーワンの詰将棋です。そうお伝えするべきだっただろうか。http://www005.upp.so-net.ne.jp/tsumepara/contents/11memo/memo.htm
  • taka-o@route188
     「詰むや 詰まざるや / 詰まざるや 詰むや / この繰り返し とこしえに(『ゆめまぼろし百番』あとがきより)合掌。」
  • 竹中@aroundforty
     「駒場和夫さんが亡くなったようです(詰パラHPより)。 作品集「ゆめまぼろし百番」を持っていなかったので、 慌ててネットで注文しました。。。 じっくり並べたいと思います。 ご冥福をお祈り致します。」
  • Problem Paradise@propara
     「できることならタイムマシンに乗って、あの龍鋸を作った頃の駒場さんに会ってみたい。」
  • EOG@EOG10
     「昔、読者サロンに膳代未文の作品が紹介されていて解答がなかったので自力で解いた。自力で解いた長編は他に「三十六人斬り」と「地雷原」ぐらいか。ご冥福をお祈りします。」
  • Toshiya@ToshiyaIkeda
     「ゆめまぼろし百番が出る直前の個展は解答したけど、他の有名長編は解答できなかった。朝霧、夕霧、かぐや姫あたりは並べすぎてソラで盤に並べられた、今は自作でも無理だが。ご冥福をお祈りします」
  • ひっぽ・ぽたます@acceleration
     「渋谷の本屋でたまたま見かけて購入した『続詰むや詰まざるや』。その巻末の「父帰る」には感動した。その体験がなければ詰将棋はやってなかったと思う。」
     「そしてその『続詰むや詰まざるや』の著者が担当していたこともフェアリーに興味を持ったきっかけだった。」
     「駒場さんの作品は自分には解けそうもないものが大半だった。今なら解けると思う「地雷原」も当時は解こうとすらしなかった。それがちょっと残念。」
     「詰将棋がなかったら自分の20代はもっとずっとしんどかったと思う。駒場さんに改めて感謝。ご冥福を祈ります。」
  • 解答欄魔@k1sumi
     「「あ、できたかもしれない…」傑作の手応えを感じつつ、静かに息を引き取る。これが詰将棋作家の理想的エンディングだが、たぶん死に際に「あ、余詰だ…。ああ」と気付きながらの無念死になることが容易に推測される。」
     「学生の頃は、マラソン、大道棋研究室に、闘鶏のあしあと、七條特懸などもあり結構な出題数だったが、その上たまに駒場さんの特別出題があった。その中でも、すごいと思った作がこれ(詰パラ1980年1月号)。解けたときは震えが来た。」
     「『ゆめまぼろし百番』をパラパラめくる。一番感じるのは、作者の意志の強さ。出来上がるものを良しとするのではなく、こう作るのだという気迫がすごいと思う。」

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桑原辰雄さん逝去

[2015年11月23日最終更新]
Kuwabara 詰将棋作家の桑原辰雄さんが10月22日、82歳で亡くなられたとのこと(写真は「四百人一局集」より)。

桑原さんは将棋世界、近代将棋、詰将棋パラダイスなどに600作以上の詰将棋を発表。将棋も五段(囲碁も四段)の実力派で、詰将棋では「桑原流」と呼ばれる豪快な作風で知られている。

「妙義図式」、「赤城図式」、「勝つための詰将棋81」、「続勝つための詰将棋81」、「実戦に強くなるガチンコ詰将棋」、そして今年2月に発行された「榛名図式」と、多くの作品集をまとめた。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


2015年11月22日

  • 詰将棋鑑賞その4 (詰将棋の街路樹
     「<将棋世界 昭和50年1月号 桑原 辰雄>
    偉大な詰将棋作家である桑原辰雄さんと摩利支天さんがお亡くなりになったというニュースを確認しました。両氏に哀悼の意を表すとともに2回連続で詰将棋鑑賞で取り上げたいと思います。今回は桑原さんの作品鑑賞です。 ・・・」

2015年11月7日

  • 妙義図式第二番 (リー監督 たいくつ
     「詰将棋作家の桑原辰雄氏が亡くなったとのこと。氏の作品には大変お世話になっているし、今後もお世話になるだろう。ご冥福をお祈り申し上げます。氏の作品に最初に触れた頃、頭がウニになるまで考えさせられた。今でもこの図を見ると条件反射で頭が痛くなるほど、個人的に思い出深い。 ・・・」

2015年11月5日

  • 詰パラ2015年11月号 ちょっとした感想 (詰将棋の欠片
     「・・・ 実戦型難解派の雄として著名。将棋世界200回入選はただ一人、近代将棋300回入選は他に植田・北原氏しか達成していない快挙。塚田賞2回、半期賞1回という受賞歴は、氏を語るにはあまり参考にならないと思われます。妙義図式・赤城図式・榛名図式合わせて320作、これは後々まで残ることでしょうし、生前に世に出されたのは見事としかいう他ありません。デビューから65年。より早くに登場された現役作家は金田・古関・山田氏くらいではないでしょうか。巨星墜つですね。お悔やみ申し上げます。」

2015年11月4日

  • ランス@lance_tume
     「桑原辰雄さんがお亡くなりになったとのこと。私も一番印象に残る作品は、柳原さんが紹介した作品です。妙義図式は指将棋を一生懸命にやっていたころ、何回も暗算で解いたものでした。ああいう作風の方は2度と出ないでしょうね。〇〇流という名称が残る作家は今後出るかどうか、、、。」

2015年10月31日

  • 【訃報】 (詰将棋パラダイス メモ
     「桑原辰雄氏逝去
    詰将棋作家の桑原辰雄氏が10月22日に亡くなられました。82歳でした。
    摩利支天氏逝去
    詰将棋作家の摩利支天氏が9月14日に亡くなられました。55際でした。
    両氏のご冥福をお祈りいたします。」

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摩利支天(橋本浩文)さん逝去

[2015年12月13日最終更新]
おもちゃ箱掲示板にまた訃報が・・・

ミーナさん「摩利支天のペンネームで活躍された、橋本浩文さんが亡くなりました。まだ55歳の若さでした。 ・・・」

橋本浩文さんは1960年生まれ。詰将棋作家として、主に摩利支天のペンネームで詰将棋パラダイスを中心に作品を発表、2014年2月に入選100回に達し同人作家になりました。ユニークな作風で、300手以上の超長編作品も多く、1996年に発表した馬詰恒司さんとの合作「FAIRWAY」611手は看寿賞を受賞しています。

摩利支天さんの作品は命名がおもしろく、例えば夢銀河に収録された5作品は「星空からのエレベーター」「シーサイドメモリー」「メリーローランの島」「FreeBallaen」「月夜のゴンドラII」といった具合。個人作品集はまだまとまっていませんでしたが、札幌で行われた第20回詰将棋全国大会のとき、制作活動集「自由な風船」を作成しています。

四百人一局集のキャッチフレーズで、「ある人は神出鬼没と呼び、またある人は天衣無縫という。」と書かれているようにアクティブな活動で知られ、来月で300回となる東京詰将棋工房を立ち上げたのも摩利支天さんでした(詰工房ができたとき)。今頃は天国で詰将棋会合を開いているかもしれませんね。ご冥福をお祈りいたします。


2015年11月29日

  • 詰将棋鑑賞その5 (詰将棋の街路樹
     「<詰将棋パラダイス2014.7ヤング・デ・詰将棋700 摩利支天>
    前回(詰将棋鑑賞その4)触れたように摩利支天さんに哀悼の意を込めての作品鑑賞となります。摩利支天さんは私も通っている詰工房の立ち上げに関わった人で1996年に馬詰恒司氏との合作「FAIRWAY」で看寿賞受賞、2014年には入選100回で同人作家になっています。・・・」

2015年11月24日

  • 摩利支天さん追悼 清水英幸さん (おもちゃ箱掲示板
     「詰将棋から随分と離れていますが、駒谷さん、摩利さんの訃報に驚いています。摩利支天さんの追悼文を自身のブログにアップしました。
    http://blogs.yahoo.co.jp/aima99hide/67892736.html 」
  • 摩利支天さんのこと (博物館訪問家・ひでのブログ
     「詰将棋作家の摩利支天さん(本名:橋本浩文)が亡くなったとのこと。まだ55歳だった。自分は、もう10年も前に詰将棋パラダイスの購読をやめ、詰棋界から去った人間であるが、かつて摩利さんには随分とお世話になったので、やはり追悼文を書かなければなるまいと思う。 ・・・ 月並みだが、ご冥福をお祈りしたい。合掌。」

2015年10月31日

  • 摩利支天さん逝去 (my cube
     「・・・ 摩利支天さんと初めてコンタクトを取ったのは2010年2月10日。 ・・・ それからメールで摩利さんとのやりとりが始まるわけですが、こちらがメールを出してそれに返信する早さが半端ではありません。1日に3通ほど届くこともありました。すごい人だ(ある意味ヤバい人だ)と思いつつも、でも詰将棋の腕は前歴が証明していて、そして僕にとってはその時点でほぼ唯一の詰将棋仲間でした。「鈴川さんは長編の才能がありますよ」などと言われ、挑戦してみた記録がこの記事この記事にも。(過去記事は今見ると文体とか内容とか恥ずかしい!) コメント欄にいる「こじはる」さんが摩利支天さん。アイドルの追っかけも大好きだったようで、AKB48のメンバー名をそのままペンネームにしていてちょっとどうよと思っていました 笑。ともかく、そうやって僕の創作技術を高めることに一役も二役も買ってもらったのが摩利支天さんでした。 ・・・ 悲しみよりも、僕にとってかけがえのない方を失ったような喪失感のほうが先立ってしまいます。11月号詰パラにも、大学院と彩棋会で入選されているではありませんか。亡くなったことが未だに信じられません。」
  • スーパー摩利支天 (A Nice Problem
     「摩利支天氏の訃報に接し、何か書かなければいけないと思った。
    氏とは「メル友」として長い間やり取りさせていただき、特に創作初期の頃は大変お世話になった。氏から得た詰キストの人脈と大量の作品データは、私の大切な財産になっている。また、忌憚の無い(=小生意気な)意見を述べ、時に説教を垂れる若輩者の私を、一批評家として扱ってくれたことは忘れられない。
    晩年は、闘病生活を送り、薬の副作用に苦しんでおられるようだった。それでも創作面では超長編や「トリプル七種合」といった野心的な構想に取り組み、交流面では石本仰、鈴川優希、長谷川大地などの若い才能をいち早く見抜く炯眼を発揮されていた。氏は最後まで命がけで詰将棋に取り組んでいたと思う。
    「ブルーミーバルーン騒動」(詰パラ2005.7)の前後から、氏はかなり意図的に「パロディ作」を作り続けていた。しかしこの背後の思想と情熱はあまり広く認知されていない。「私の居所やコメントは公開フリー」と生前仰っていた氏のスタンスを鑑み、2005年頃に交わされたメールから、氏のコメントを抜粋して残しておきたいと思う。
    摩利さん、さようなら。そして安らかにお眠りください。 ・・・」
  • 【訃報】 (詰将棋パラダイス メモ
     「桑原辰雄氏逝去
    詰将棋作家の桑原辰雄氏が10月22日に亡くなられました。82歳でした。
    摩利支天氏逝去
    詰将棋作家の摩利支天氏が9月14日に亡くなられました。55際でした。
    両氏のご冥福をお祈りいたします。」
  • Re: 訃報 kamuさん (おもちゃ箱掲示板
     「駒谷さんに続いて、摩利さんもですか… 春頃から連絡が取れなくなっていて気にはしていたのですが。あぁもっと話をしてれば良かったなぁ。ご冥福をお祈りします。」
  • もーたー@motordrive2
     「彼と電話で最後に話したのはおそらく私が社会人なりたての頃。彼がガソリンスタンド店員をしていた時ではないかと思う。車の整備関係の話をしたのを覚えているから。学会入信とかの話はたぶん後日、ほかの人から聞いた。」
  • YANAGI  @大阪@misimaikeda
     「ある日突然、摩利支天氏は岐阜の私のアパート(兼編集部)に転がりこんできた。20代半ばの彼は国鉄の職を捨てて北海道からはるばるやってきたのである。私より5歳上の彼は、詰パラの助手をさせてくれ、と言い出した。」
     「その日から奇妙な共同生活が始まった。特に干渉はしなかったので、お互い自由に仕事をして自由に遊んでいた。彼は近所にある私の実家にも頻繁に顔を出し、両親や弟たちと食卓を囲んでいた。」
     「彼は夜になると、私の部屋の電話機を自分の部屋へ引っ張り込んでは、いろんな詰キストと長電話をしていた。当時まだ無名の田島秀男とは特に意気投合していたようで、よく話し込んでいた。」
     「翌月、電話代7万円の請求書が届いた。私はあきれてしまったが彼は電話も大事な仕事だと主張した。こんな居候生活が長く続くはずもなく、やがて彼は私の前から姿を消した。彼との思い出はこれくらいしかない。あとはすべて忘れてしまった…。(終)」

2015年10月30日

  • 訃報 ミーナさん (おもちゃ箱掲示板
     「摩利支天のペンネームで活躍された、橋本浩文さんが亡くなりました。まだ55歳の若さでした。いっしょに詰工房にも行きました。ショックです。ご冥福をお祈りします。」
  • 悲しいなぁ 変寝夢さん (おもちゃ箱掲示板
     「摩利さん、逝っちゃいましたか。寂しいなぁ。ACTの準備で、名簿使って皆に電話したりワープロで作った手紙送ったたのがいい思い出です。彼のとった行動が原因でよく思わない人もいるのでしょうが、私にとっては師匠、恩人それ以上の存在でした。四百人一局集での摩利さんと私(田島君と谷川さんの間)のプロフィールを読んでいただければ理解して頂けると思います(打ち合わせしてないよ)。今でも同じ質問をされたら「摩利支天」と答えることでしょう。さようなら、摩利さん、有り難う。」
  • Toshiya@ToshiyaIkeda
     「まじか。正直うっとおしいと思ったこともあったが、自分を会合やら棋友の家やらに連れ出してくれたのは彼なので、今まで何のかんの続けてこれたのは彼のおかげもあったかと。ご冥福をお祈りします」
  • もーたー@motordrive2
     「中高生時代に余詰返送された後、彼のアドバイス付箋が付いた投稿用紙を今も持っている。つい先日、改作に成功した。彼が導いてくれたのだろうか。合掌。」
  • 鈴川優希@Yuki_Suzukawa
     「摩利支天さん亡くなったの!?」
     「数年前までメールでやりとりしてて合作も2つ発表したことがある。ショック……。」
     「追悼記事あげとかないと……」
  • 小山真代@oyamamayo
     「えぇえええええ。 摩利支天さんが亡くなったのか、、、まだ若すぎだろ。。」
     「中学生の時、人懐っこい独特の文面で突然メールが送られて来た。 差出人は摩利支天。 ウブな私は「看寿賞作家だ!」くらいにしか思っていなかったが、次第に彼が醸し出す危ない詰将棋マニアの臭いに惹かれ、電話やメールで頻繁にやりとりをするようになる。」
     「氏には創作ノートを全部見てもらったり過去作品の膨大なDBを頂いたりと、創作初期にかなりお世話になった。 その後、こちらの成長とともに詰将棋観の違いがあらわになった(?)せいか疎遠になってしまっていた。」
     「氏は「FAIRWAY」や「星空からのエレベーター」などユニークな長編趣向作も手掛ける一方、傍目からは同じような竜追いをたくさん発表したり、人のプロットの改良をそのまま発表するなど理解に苦しむところもあった。」
     「しかし、「詰パラがコンビニに並ぶようにしたい」と語っていた情熱はホンモノで、きっと氏なりの考えがあったのだろう。 (私はこんな空想世界の遊びは好きな人だけやってれば良いと思いますが 笑) 今となってはあの長電話が懐かしい。 安らかに眠ってください。」
  • YANAGI@大阪@misimaikeda
     「http://shogipic.jp/v/6Bf  詰パラ1983-5 はみだしっ子
    摩利支天氏との懐かしい合作。当時から他人の作品をいじる癖があった。橋本姓は守正、哲、樹、孝治などの一流作家が活躍していたので、本名を嫌っていたようだ。デビュー作は「手稲太郎」という筆名だった。」
  • ひっぽ・ぽたます@acceleration
     「近年はずっと敬遠気味だったんだけど、彼はACTの呼びかけ人だったんだよね。殺しても死ななさそうだったwから、そのうちどこかでまた会いそうに思ってたけど、残念。」
     「あの山っ気の強さがなあ…。詰将棋以外ではあまりうまく行ってない人、という印象だった。でも、詰将棋では成功したと言えるのでよかったかもしれない。」
     「改めてツイッターのプロフィール見ると、もしかしてアルコールなのかな…。だとしたらよけいに残念。」
     「人なつっこいと言うか馴れ馴れしいと言うか、あのキャラはよく憶えてるんだけど、作品が一つも思い浮かばないんだよね。それも彼らしいかも。」
     「もちろん、プロフィールに、うつ、とあるのは気になるけど、あまり深く考えたくない…。」
     「あの世で看寿や奥薗幸雄に合作持ちかけてうっとうしがられてないだろうかw」

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駒谷秀彦さん逝去

[2015年10月9日最終更新]
おもちゃ箱掲示板に訃報が・・・Komaya

福島竜胆さん「4年間の闘病生活も実らず、駒谷秀彦氏が逝去されました。享年53歳でした。 ・・・」

駒谷さんは将棋世界昭和52年3月号で詰将棋作家としてデビュー。長編から短編まで幅広い創作をモットーに約50作を発表。詰工房で長く活動し、特に2006年の第22回詰将棋全国大会(横浜)では、プロデューサーとして大会を成功させた(写真はそのときのもの)。2010年、詰工房活性化のために5種競技大会を提案し、もうすぐ開始というところで病に倒れ、闘病を続けていた。

おもちゃ箱でも、毎年年賀詰をいただいたり、記事を書いてもらったり、いろいろとお世話になりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。


2015年10月8日

  • 駒谷さんとの少しの事 (象棋外典/アポクリファ-Ⅱ
     「・・・ 2015年の春から、私はポツポツと詰将棋を作り始めた。駒谷さんが知ったら喜ぶだろうか? いや、昔の会議の時のように冷静に俯瞰的に指導されるのかもな。そんな事を思っていた矢先、訃報が届いた。駒谷さんと将棋を指すことも、自作の詰将棋を見せることも、叶わなかった。昨晩は茅ヶ崎で通夜だった。秋晴れが気持ち良く、きっと茅ヶ崎から眺める富士山は美しかっただろう。駒谷さん作の二題が載った紙面をお兄様へ渡してきた。帰り道、青年部時代の仲間と居酒屋で献杯した。 ・・・」

2015年10月4日

  • 福島竜胆さん (おもちゃ箱掲示板
     「4年間の闘病生活も実らず、駒谷秀彦氏が逝去されました。享年53歳でした。お兄様の政幸氏より、伝言を承っております。
    「皆様 今まで本当にありがとうございました」
    謹んでご冥福をお祈りいたします。 ・・・」

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