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2006年8月 6日 (日)

第22回詰将棋全国大会を終えて

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[2006年8月6日最終更新]
先に横浜市内のみなとみらい地区にあるワールドポーターズで行われた「第22回詰将棋全国大会」には総勢125名の詰将棋ファンが結集した。今回事務局長という大役を担ったが、私から本大会の総括的なこと、苦労話、裏話等をこの場を借りて述べさせていただく。

大会事務局長 駒谷秀彦


横浜での開催を提案

そもそも私など詰将棋界に大した人脈もなく、また目立った活躍もない者がこんな大役が務まるわけがなかった。それにもかかわらず、第16回の「7・22の奇跡」でおなじみの名プロデューサー・福島竜胆氏が、本大会のプロデューサーを私に抜擢するという大悪手を指してしまった。福島氏は一度はやらないと覚えないとよく言われていたが、この任務はやはり向き・不向きがあると思う。私自身時間に制約がある上、人の意見にすぐに左右されてしまうので、性格的にも到底向かないのである。

きっかけは前回の全国大会の少し前頃、私が東京詰工房にて「たまには関東大会を横浜でやってはどうか」などと軽い発言をしたためであった。福島氏をはじめ、工房メンバーたちは「横浜はいいが、あんな土地の高いところでできるわけがない」と真っ向から否定されてしまった。しかもみなとみらい地域に限定したものだったからなおさらであった。ただ、当時ランドマークタワー内で公的な貸室が入っており、料金も場所からすると激安であった。更に近隣の宿泊も手ごろな価格のところがあり、これなら可能であろうと皆に話をしているうちにだいぶ深入りしてしまったのである。

ところがそのランドマーク内の公的施設は2005年10月で閉鎖になる予定になっていたのである。一時はまた東京の府中あたりに戻す話が浮上したが、何とかなるだろうと甘い考えで、とりあえずできる限りのことはしようと思った。それで急遽近辺の公的機関の会場候補を当たったのであったが、ほとんどの施設の予約受付が半年前。年が明けてから抽選だと言う大変危険な状況に追い込まれたのだが案の定、全て落選した。もちろんそれを想定し、前もって通常の大会参加費で採算が合う会場を毎日インターネットなどと睨めっこして情報をかき集めていたが全く見つからない。

もはやこれまでで「みなとみらい地域」は無理と諦めかけていた時に、なんと偶然にも横浜ワールドポーターズがヒットした。一見とんでもない好条件の建物なので、全くの盲点であった。

会場費は安いとは言えなかったが、福島氏らと相談しながら採算を考え、予定されていた東京詰工房の第3弾作品集「さんらん」の提供も含め、最近の大会会費が\2,000のところ、何とか\1,500に設定できた。覚悟はしていたものの、会場取りだけでこれほど苦労させられるとは思わなかった。

企画立案に悩む

さて、問題は本命の企画である。個人的なことで恐縮だが、私は税務関係の仕事をしているので特に正月明けから3月中旬までは普通の年でも忙しい。毎日のように帰宅時間が22~23時頃になってしまい土日も思うように休めないので、とても詰将棋のことなど考える余裕がない。任務を受けた直後もそうであったが、なぜちゃんと断らなかったのか、この時点でも改めて自分でかなり反省した。でも今から代わりと言ってもなかなか引き受けてくれそうな人物も見当たらない。何度ほっぽり出そうと思ったか、一時は精神的にもだいぶ追い詰められてしまった。大げさかもしれないが人生最大のピンチになったとも感じていた。ただ、ここでやめてしまうのは簡単かもしれないが、それでは一生詰将棋が嫌いになってしまうのではないかと思い留まった。

企画決定に至るまでにはかなりの紆余曲折はあったが、以前詰工房内で話題になった宗看生誕300年にまつわるものと、柳田氏より自らご協力いただけると「詰将棋ミニ解答選手権」のふたつの大きな題材に絞っていった。それで図書コーナーも少し宗看を強調するようにした。また、当然大道棋コーナーも開くため、福島氏から阿部氏に依頼していただいていた。

大会を振り返って

大会を振り返って、結局企画の内容的にはどうであったか?

今さらながら言い訳がましいが、ともかく気持的には全く余裕がない中での企画立案であったので、さまざまな不手際等があったことはご勘弁いただきたい。

まずは、結果的に「宗看マニアッククイズ」はだいぶ企画倒れであったが、石黒氏の名司会ぶりで何とか時間を繋げられた。一方、ミニ解答選手権はさすが柳田氏と言うか、大変盛り上がった。やる方は準備が大変であろうが、できればサブ企画として毎年やって頂きたい。それから完全にレギュラー化したと言っても良い大道棋コーナーは、毎年の詰将棋大会の花となっていると思う。ご高齢で大会参加だけでも大変であろうが、阿部氏にはいつまでも伝統あるこの大道棋を若者世代に伝えていってほしい。書籍コーナー内では大橋氏に宗看コーナーをお願いしたが、通常の書籍販売が好評だったせいもあったが、皆さんにどれほど興味を持って頂いたか疑問が残った。或いは逆に知名度がありすぎて宗看を前面に出すのは無理があったか? しかし、大橋氏所有の中将棋を展示したのだが、それはものめずらしそうに見ていった方が多かったようだ。

2次会はどうであったか?

参加者には花火大会とも重なり移動でのご苦労をかけてしまったが、中華街の町並みは初めてこの地へ来られた方々には満喫できたと思う。また、2次会企画はかなり不十分であったが、酒が入って詰将棋の話しをしているだけで満足と言う人たちが集っているので、それなりに楽しんでいただけたと勝手な解釈をする。

全体的に見ると、私がプロデューサーとしての力量不足が露呈してしまった大会になってしまったが、そこは東京詰工房の強力なメンバーに支えになって頂いた。考えてみれば、大会の担当する会合の中では一番メンバーに恵まれていて、その好条件下ではもっと有意義な大会にしなければならなかった。それはまた個人的な別の問題として、何とか滞りなく終えることができ、当日の参加者や詰工房のみなさん、他にもご協力していただいた方々を含め、全ての人たちに心から感謝する。

詰将棋全国大会の目的で、詰将棋の普及を目指していることは当然であるが、それは日頃からの普及活動があった盛んであればあるほど効果大なのは言うまでもない。東京詰工房をはじめ、全ての詰将棋の会合の発展を祈願したい。

今後の全国大会運営に向けて

最後に、主催する側になって感じた私の全く個人的で勝手な意見を述べさせていただく。だから異論があったとしても回答しかねることをご了承いただきたい。

全国大会の開催について、できる方ならいいが、一人が全て抱えて大会を担うのは大変重過ぎると実感した。他の地方大会などはどのように運営しているかわからないが、今後はやはり実行委員形式にして、できるだけそれぞれの細かな任務自体を割り振るか複数体制をとり、ひとりの負荷を物理的にも精神的にもできるだけ軽くすべきと思う。大会当日は船頭さんが多いと指示があちらこちらに行く可能性もあるが、どう考えても一人では限界があった。皆さんそれぞれの想いがあり、民主的に話し合ってと言うのも難しいが、個人の負担を思うと多少考えなければならないのではないか。

それともうひとつ。今回の企画思案中に書籍コーナー運営のことや、参加費徴収の基準などの件で一部私に振られたことがあった。それもプロデューサーが考えなければいけないのかと、全てあらかじめ決まりごとがあるものだと思っていたのでかなり戸惑ってしまった。だから基本的なところは全て全詰連で確定しておいて頂き、特に金が絡む事項についてはちゃんと基準を設けてほしいと思った。このたび幹事会で多少決まったことがあったそうだが、企画・運営する者が判断しかねる問題も多いので、その部分だけ毎年全詰連で一切担った方がトラブルは少ないのではとも思った。

詰将棋全国大会は文字どおり詰将棋が好きな人たちの集まりなので、準備するに当たっては自分たちの仕事や私的な時間を割かれるのは仕方がない。しかしそれらは全て自主的な善意の元で成り立つ。

例えば今回の当日準備の集合時間は9時に設定したのだが、遅れて来た方はみな恐縮されていた。ただ、遅れようがドタキャンしようが、当日用事ができてしまえば本人には全く責められるものではない。また、私も荷物運びに会社の車を借り、準備するに当たり勤務は延べ3日分ぐらいも休み、職場にまでだいぶ迷惑をかけてしまった事実がある。

金が絡むような決まりごとを考えるとき、全国大会は主催する会合の人たちの手弁当で行う背景にあることが大前提になることを忘れないでほしいと思う。

余計なことであったかもしれないが、以上どうしても話したかった率直な感想を書かせて頂いた。

バトンタッチ

来年は神戸だそうで日程もすでに決まっている。よほどのことがない限り私も参加させていただくが、今までは全国大会の日が来るのを指折り楽しみにしていたのに、これからは準備する過程の大変な状況を真っ先に想像するようになってしまうであろう。

猪俣氏を初めとする大会開催に係わる方々には本当にご苦労をかけてしまうが、今大会のバトンタッチをよろしくお願いして、私の駄文を終了することにする。

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コメント

全国大会の大元締め、ご苦労様でした。
私もボランティアのまねごとをしているので、駒谷さんのご苦労はよく解るつもりです。

全国大会、面白かったですよ。
商品もたくさんもらったし。(^^)

また詰め工房でお会いしましょう。


投稿: 高橋恭嗣 | 2006年8月 6日 (日) 06時27分

私はそばで全部見てましたので、全ての事情は分かっています。
とおり一遍のねぎらいの言葉ではとても足りないでしょうが、
でも実際にプロデュースをしたことの無い人には
到底わからない大変な苦労がありました。

駒谷さんのおっしゃるとおり、
もう一人のプロデューサーに全ての責任を押し付けるのは無理です。
全詰連側は「口出しはしないようにしていた」などと言っておりますが、
今まで何一つ手伝わなかったくせに今更何をか言わんやです。

今回の採算は、1000円程度の黒字だそうです。
懇親会が終わったその日の真夜中、
ワールドポーターズの駐車場が高いからと、
安い駐車場を求めて駒谷さんが車を走らせていたことなど、
誰も知らないでしょう。
そんな小さな努力の積み重ねのたった一つでもしていなければ、
この1000円の黒字は赤字に変わっていたでしょう。

全詰連側は、赤字は負担すると言ってますが、
過去に個人で数十万を負担した事実もあります。
根本的な改革が必要です。

手弁当でやってくれたスタッフも、もっと評価されるべきでしょう。
詰工房が仕切った大会のプログラムには、必ずスタッフの名前が書かれています。
それは、大会の主役はスタッフだと考えているからです。

駒谷さん、ご苦労様。
横浜大会、記憶に残るいい大会だったですよ。

投稿: 福島竜胆 | 2006年8月 6日 (日) 10時13分

ボランティアの皆様。お疲れ様。

私は、他分野のイベントを何度も企画し運営に関わってきました。人数も軽く2万人を越えるイベントにもボランティアとして参加してきました。こういうイベントにおいて、人を動かすのは非常に大変です。

私から見て簡単に言わせて頂けば、
ネットワークの不備がかなり目立っていると感じてなりません。これらは、早急に改善しないと今後に関わってくる気もします。会議とかになかなか参加できなくて、当日参加できるという方も情報を分け与える事はかなり重要です。会議に忙しくて参加できないからといって、意見を述べられないというのもいささか問題があります。(何もしないで、ただ言うだけの人はこの際、無視ですが。)

その他、手伝う方の割り振りとか基本的なものが出来ていないような気もします。来てくださった方の配慮が足りないと思います。
そのエピソードの一つに40万人50万人の人手が予想される花火大会の中の移動をするのにどれだけ大変か。「地図を渡して勝手に行かせればいい」と某氏のご発言にはちょっと怒りを通り越して、呆れてしまいました。万が一、気分を悪くした方が出たらどうするおつもりだったのでしょう?

できれば、みなさん。
他分野のイベントを手伝って色んなものを吸収してみてはいかがでしょう?いろんな意味で非常に勉強になるかと思います。
これからは、井の中の蛙では困ると思います。

女性から見て配慮の無さが見えすぎて、ちょっと嫌だなと思ったので、私はおそらく、次回は行かないと思います。

投稿: まにょ。 | 2006年8月14日 (月) 12時54分

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