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2014年9月27日 (土)

7・22の奇跡--伝説を創った男たち

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[2014年9月27日最終更新]

Producer7・22の奇跡--伝説を創った男たち

静岡大会プロデューサー 福島竜胆

第16回詰将棋全国大会は、いろんな意味で物凄い大会だった。 その内容については、スタッフのサイトや紙面のレポ-トにまかせるとして、 ここでは私しか知らない話を交えながら舞台裏から見た全国大会を書いてみよう。

今までいろんなイベントを仕切ってきたが、 今回ほどさしたるトラブルもなくほぼ予定通り進行した大会は記憶にない。 プロデュ-サ-を任されてから当日まで私の頭のなかで何百回となくシミュレ-トされた演出が、 目の前で現実の物となっていくのを眺めているのは、まことプロデュ-サ-冥利に尽きるものだった。 なぜこんなに旨く事が運んだのかを今振り返ってみると、 一つ一つの幸運が奇跡のように噛み合ったとしか考えられない。

先ず私の事から申せば、 そもそも東北大会案が最初に在った事が今回のプロデュ-スを任される唯一の理由だったし、 工房の応援が期待できなければ引き受けなかった。

あれは一年前の話、京都大会の前日の幹事会に向かう電車の中で、 森田銀杏氏より一存すると言われていた東北大会を開催するべきか否かでまだ迷っていた。

4年に一度の地方開催の意義は、その地方で活躍する詰棋会を全国に紹介すると共に、 詰将棋文化の発展に寄与するものである、と森田氏より教えられていた。 東北で活躍する(詰とうほく)は、文献・研究等では素晴らしい実績を上げており、 これを全国区にする絶好のチャンスが大会の開催であった。 しかしイベントを仕切るにはマンパワ-が不足しており、万全の体制とは言えなかった。 ここで中途半端な開催をしてしまったら、次に東北で開催するのは16年後か20年後になってしまう。 それならここは見送って4年後か8年後を狙うのが上策ではないか、こんな事をずっと考えていた。

そして幹事会の席上で、今回は東北ではやらないと発言した。 その瞬間の森田氏の寂しそうな顔が私には辛かった。 翌日の京都大会のラストは異様だった。 次回の開催地が未定のまま閉会したのである。 いや、開催そのものが危ぶまれる状況になっていた。

一応名古屋の関氏より、(一年早くやってもいい)との保険は貰っていたが、 地方開催を諦めない森田氏は静岡案を打ち出し、私に仕切れとの仰せ。 何とかしたいと思っていた私は喜んで引き受けたが、勿論工房をあてにしての事。 以後は皆様ご存じの通りで、ここまで突っ走ってきた次第。 つまり実際は成り行き任せのプロデュ-サ-業だった。

この時期夢銀河プロジェクトが発足したのも幸運だった。 東北開催なら(詰とうほく)という研究書を参加者に配布する案がすでにあったので、 これを夢銀河にすりかえた。 大会に参加するだけでこの豪華本が貰えるのだ。 これは絶好の集客アイテムになった。

ラバ-ケ-スの無料配布もゲ-ムショ-では昔からやっている事。

グランシップの下見の時にロビ-の脇に簡易カウンタ-を見つけたので、 聞いてみたら思ったとおり臨時営業してくれるとの事。 (富士を眺めながらのコ-ヒ-ブレイク)はこうして生まれた。 これは一杯200円。 飲み放題の懇親会が下戸も飲んべえも一律料金。 それなら酒を飲まない人のためにと、こちらも飲み放題に設定。 一応一人2杯までは覚悟しいた。 (最終的には一人一杯強でした。忙しくてスタッフが飲めなかったか)

もうお気づきでしょうが、これで1000円でやっていけるのでしょうか。

本当は2000円/5000円にしたかったのだが、 1001円以上の入場料を取ると営利目的という事で会場費が倍になるのだ。 で、やむをえず1000円/6000円に設定した。 ちょっとシビアなお金の話でした。 そしていよいよ歴史的大会は始まった。


あのファンファ-レは、宝塚記念用に賞金50万を狙って作ったものを、落選したために大会に使い回ししたもの。 (今でもこちらのほうがいいと思っているが)

表彰式のバックの(見よ、勇者は還りぬ)も、今までなぜ使わなかったのかが不思議な位ふつうのアイデア。

三谷さんの歌は、たまたま我が家へ遊びにきた氏が、 夜中突然(詰将棋の曲が出来た)といってギタ-を弾き始めたのがきっかけで、 (よし大会でやろう)と悪のりしただけ。

看寿賞作品を動かすアイデアは鉄人。 幸運にもグランシップという素晴らしい会場を確保できたので実現可能となった。 となると解説は柳田明しかいない。 ここでこの大駒2枚を使えるのが工房の凄いところ。 しかも詰将棋らしく収束で大駒が1枚消えて(加藤氏受賞の為) 代わりに成銀(全君)が活躍するというムシのいい話。 <== (これ旨いでしょ)

どうやらこの大スクリ-ンで駒を動かすやり方はスタンダ-ドになりそうだ。 これもパソコンの普及と時代が一致したからだろう。 京都では早かったのかもしれない。

鉄人からでたHP探訪のアイデアもこの時代ならでは。 ところが事前にグランシップの11階でテストした時は携帯の電波がうまく拾えたのに、 当日10階の会場では旨くいかないというアクシデントがあった。 すわっ、と思ったがそこは鉄人加藤。 こんな事もあろうかと事前に収録しておきましたとさ。 脅かしっこ無しにしましょうよ。

式典の司会の石黒さんは、今回のスタッフでは唯一関西の人。 一番最初に手を上げてくれたのでお願いした。 (関西なまりはなかったですねえ)

そして2部のイベントの司会は清水さん。 こういう八方桂のような人材はよそにはおらんでしょう。 当日走り回っていた私も(100人)の時だけは座って笑って見てました。 隣で首教授が呆れていた。 へえ~、エクセル使ってんだ、旨い司会やるよなあって。 たしかにこれは歴史に残る名司会です。 (ビデオ撮れてるといいのですが)

その他、数え上げればきりがないほどの多くの幸運や回りの人の手助けで、 大会は無事に終わった。 7・22の奇跡と言わせて貰う。 10年後・20年後におそらく伝説として語り継がれるであろうこの大会を創り上げた男たちの、 パフォ-マンスの凄さには驚嘆せずにはいられない。 この強力スタッフを自由に使えるなんて長島監督になったみたい。

それでは感謝を込めて、一人一人について触れてみよう。 (失礼があったらごめんね)


森田銀杏氏

 100%信頼して任せてくれました。 私の分からない事は直ぐに教えてくれました。 私からは無理難題を押しつけました。 偉い人の挨拶は一人1分で/委員会の報告はプリントで/当日の幹事会は1時間で等々。 全部聞いてくれました。 お蔭様で参加者の為の大会だったと好評でした。 有り難うございました。

加藤徹氏

 プログラムに名前が6個ありました。 開会の辞・看寿賞受賞者・映像・HP探訪・詰将棋作者・スタッフロ-ル。 翌日の静岡新聞にもデカデカと写真入りで登場し、美味しいところを全部持っていかれました。 大会副委員長、ご苦労さまでした。

元水信広氏

 雑用をすべて任せてしまいました。 おかげで懇親会に遅れて殆ど食い物にありつけなかったですね。 翌日の駿棋会が盛況だったので良しとして下さい。

石黒誠一氏

 今までにない演出だった今回の式典を見事に捌いてくれました。 しかもこの打ち合わせが何と開幕30分前というのだから、驚くべきなのかいい加減なのか。 石黒さんに司会をお願いして正解だったと思っています。又よろしく。

清水英幸氏

 詰棋界きってのエンタ-テイナ-にとって今回の司会は、まさに真骨頂ともいうべき熱演でした。 水を得た魚のように舞台上は氏のワンマンショ-。 一見楽々こなしている風に感じますが、当日の早朝、 皆がまだ寝ている時間に一人で声を出して練習していた事を私は聞いていました。 ウ-ム、この人をしてこうなのね。

三谷郁夫氏

 皆に酒おごりなさい。 今回一番いい思いをしたのは絶対に三谷さんだと思う。 一応私もプロですからワンパラの解説をすると・・ 序の美しいメロディ-からの順算だろう。 しっとりいくと見せてEmからEへの転調も手慣れていて力強い捌き。 収束は既成順だが聴後感は良い。 私ならもう一波瀾だが、あっさりまとめるのが三谷流。 詞は受賞作図式の条件下では文句なしでしょう。 (尼子氏担当の英語の部分は知りません)

轟聡氏

 お客様の反応はどうでしたか。 ほとんど営業モ-ドに入っていたようですが。 ソフトがダウンするなどアクシデントがありましたが、対局は大成功でした。 有り難うございました。 舞浜でも頑張ってね。

柳田明氏

 プロデュ-サ-としての私を終始心配してくれていたのが氏。 なんでもかんでんも自分でやっちゃ駄目だよ、と有り難いお言葉。 で、図書責任者・解説・懇親会司会とたくさん引き受けてくれました。 が、3っつは多かったとのご感想。・・・・!。

金子清志氏

 詰将棋関係は全部お願いした。 誤植・不詰といろいろありましたが、清水氏発案の詰将棋ビンゴは大成功でした。 懇親会で盛り上がっている酔っ払いが詰将棋モ-ドにはいったもんね。 短い時間での三十数題もの作図ご苦労さまでした。 持つべきものは、ですね。 それより私としては規約委員会が心配なんですけど・・・。

駒谷秀彦氏

 自分から仕事を探して動いてくれて実質は現場監督でした。 助かりました。 手作りの大盤も懇親会で人気者でしたね。 2年後も主戦力として期待してます。

山田剛氏

 舞台裏でテキパキと動いてくれました。 妙に手慣れてるなと思ったら、コンピュ-タ-選手権などでいつも仕切ってる側だったのよね。 神谷プロの前で大盤解説はやりにくいとこぼしておられましたが、堂に入ってましたよ。

安江久男氏

 律儀に寄付金有り難うございました。 会場ではあんまり話す機会もなかったですね。 私がバタバタしていたせいかな。

藤澤秀樹氏

 会計担当ご苦労さまでした。 大金を所持しているから酔っぱらえないし、内ポケットにお金を入れてるから上着も脱げない。 そんな苦労を私は知ってました。

縫田光司氏&GF

 二人並んでの受付、ごちそうさまでした。 縫田君がこんな凄腕のプレイボ-イだとは知りませんでした。 ロビ-では彼女の肩で居眠りしてましたよね。 これじゃ原田さんが乱れるのも当然でしょう。 でも夫人・恋人・子供同伴は大歓迎です。

全邦釘氏

 ほとんど修学旅行でしたね。 二日酔いの状態で(対局)の見事な演出、(100人)のパソコン操作など大活躍でした。 100円玉何枚使ったの?

三角淳氏

 尼子・全のAV攻撃にもめげず、終始平常心で戦いました。 受付も真面目にこなしてくれました。 有り難う。

尼子至恩氏

 (100人)のキ-ボ-ドは正直言って一番心配でしたが、練習の成果がありましたね。 全君とどちらが100円玉キングなんでしょうか。 今度ウチへきなさい。 いい物見せてあげます。 誰かがトイレで寝てたという話ですが君じゃないですよね。

田口正明氏

 入場者100人越えで氏との密約が成立しました。 お互い良かったですね。 宿泊係に森田先生より指名されましたが、これはまずかったですね。 何より酒が楽しみの氏が全然酔えなかったのですから。 おまけに、飲み代を払わずに帰った人がいる・集金出来ていない・清算がまだと悲惨な状態です。 誰も褒めてくれない一番つまらない仕事を押しつけてしまいました。 ごめんなさい。

橋本孝治氏

 今回は受賞もなく暇そうなので受付をお願いしたら二つ返事。 最初から最後まで受付の先頭に座りっきりで頑張ってくれました。 しかしこの配役は私の好プレ-だったと自負しています。 なぜって、名前は知ってるが見た事はないという橋本孝治に会場に入って最初に会えるんだから。 これが全国大会の楽しみなんです。 有り難う。

原田清実氏

 ごめん。 プログラムの漢字間違えていました。 今大会では今まで知らなかった新しい原田像を見せていただきました。 赤外線でしょうか。 おつかれさん。


これだけのスタッフと一緒に仕事ができた事を誇りに思います。 私個人にもいろいろ苦労話はあったのですが、 スタッフそれぞれに大変な苦労があった事を知った時、それは取るに足らない事だとわかりました。 2年前に大会を開催しさらに2年後にも控えてるというのに、 皆さん文句も言わずに積極的に働いてくれました。

大会の終わったあとで、自分がヘトヘトになっているはずなのに私の肩を叩いて (ご苦労さん、よくやった)と皆に言われたときには、不覚にも涙が出そうになりました。

私の道楽に無理やり巻き込んだ形の今回の大騒ぎでしたので、悪い事したかな、 と思っていたのですが、(この大会にスタッフとして参加できてよかった) という話を聞いて救われる思いでした。 本当に有り難うございました。 そしてお疲れさまでした。

2年後の大会では、また元の雑用係としてスタッフに入れてください。


※ 総入場者数110名。懇親会81名。 文句なしの黒字でした。
  用意した景品がかなり余っています。 2年後に持ち越しでいいのですが、
  イベントに参加出来なかったスタッフの手にまるで渡ってないのではと心配です。
  工房で遠慮なく私に言ってください。 いい物いっぱい有りますよ。

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