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[2015年8月18日最終更新]
詰将棋全国大会は2015年で第31回だが、最初の頃は詰将棋全国大会でなく、「全詰連(全日本詰将棋連盟)全国大会」と呼ばれていた。その後「全国詰将棋大会」と変更され、更に第14回から「詰将棋全国大会」と変わって現在に至っている(詰将棋全国大会(目次ページ)参照)。
全詰連および全国大会の歴史は、簡単ではあるが下記に紹介されている。
この全国大会ブログでは、2000年の第16回全国大会と2002年以降の全国大会について、アルバムやレポートを掲載してきた。しかし、最初の頃の全国大会は、ネットにもほとんど情報がなく、その様子を知ることは難しい。そこで、詰将棋パラダイスの水上編集長と相談し、このブログに情報がない年の全国大会について、詰将棋パラダイス誌に掲載されたレポートを転載させていただくことになった。
全国大会の情報は、本来なら主催者である全日本詰将棋連盟(または詰将棋パラダイス)のサイトにあるべきと思うので、このブログ自体もいずれ移管を検討したい。
最初の頃の事情については「全詰連の再発足」(詰パラ1991年6月号、森田正司)が詳しいので、一部引用してみる。
「・・・
一、全詰連の結成
全国の同好の士の大同団結を目指して、鶴田諸兄氏が全詰連を結成したのは昭和37年のことである。まず、3月4日に名古屋市公会堂に26名の同志が集まって本部の旗揚げがなされたのを皮切りに、18日には大阪府立労働会館に37名が出席して関西支部が、また4月1日には東京。後楽園「涵徳亭」に68名が参加して関東支部が結成された。本部責任者は詰パラ編集主幹が、また関西支部長は西村英二氏、関東支部長には小林豊氏が就任され、これで「詰将棋パラダイス」の全国的な支援組織ができ上がったのである。これを機に、詰パラは同年7月号から全詰連の機関誌として位置づけられ、読者はすべて全詰連の会員とされるようになった。 ・・・ また、全国大会をはじめ、詰棋人の集いが、次のように東名阪を中心として頻繁に催され、同志の交流が盛んになったのである。
37年10月28日 第一回全国大会(名古屋・伏見荘、47名)
39年5月3日 詰パラ百号記念全国大会(同、50名)
40年5月9日 第三回全国大会(東京・七條兼三邸、90名)
40年10月10日 名古屋大会(恵比須寮、37名)
41年5月1日 第四回全国大会(東京・日本女子会館、55名)
41年10月9日 関西大会(神戸・今平、39名)
二、23年ぶりの全国大会
ところが、その後、大会はぷっつりと途絶えてしまった。どういう訳か46年5月号からは詰パラにも「全詰連機関誌」の表示が消えてしまった。 ・・・ 時は移り、平成元年5月5日、詰パラ四百号記念の全国大会が柳原裕司新編集長を中心に名古屋郵政会館で開かれた。実に23年ぶりのこととて、全国各地から84名もの会員が集まったのである。 ・・・」
このように、第4回全国大会までは順調に開催されていたが、そこでなぜかしばらく途絶えてしまう。23年ぶりに第5回全国大会が開催されてからは現在まで毎年開催されている。
詰将棋全国大会レポート(1) 全詰連全国大会
1962年10月、名古屋市伏見荘にて。参加者47名。
看寿賞も第1回で中断していたが、この年から復活し、田中鵬看さん「宇宙」が受賞、全国大会で表彰された。副賞がおもしろい。




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