(第4回)全詰連全国大会
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[2015年8月24日最終更新]
鶴田諸兄詰将棋パラダイス主幹が中心となって全日本詰将棋連盟が創設されてから4年、順調に開催されていた全国大会だが、鶴田全詰連としては1966年が最後の全国大会となった。このあと10月に関西大会が開催されたあと、全国大会は開かれず、結局次に全国大会が開催されたのは柳原編集長に交代したあと、実に23年後であった。
なぜ中断したのか不明であるが、TETSUは次のように推測している。鶴田主幹が職を辞して創刊した(新)詰将棋パラダイス。突然の遅延、中断もあり、苦しい経営状況の中で、支援組織として全詰連の創設に東名阪を奔走した鶴田主幹。詰パラの編集発行を一人で続けていながらの全詰連の活動は大きな負担になっていたと思われる。七條兼三氏という有力な後援者が登場し、関東中京関西、支援組織も一応はできあがって、何とか経営のめどもたった状況で、鶴田さんとしては祝賀行事としての全国大会を開くより、本来の詰パラを充実することに力を注ぎたかったのだろう。
全詰連の運営と詰パラの編集発行を両立させるのは相当無理があり、そうした反省も踏まえて、柳原編集長になったあと第7回全国大会を機に全詰連が機構改革し再発足した際は、岡田敏さんが会長となり、詰パラ編集と別体制で運営することになったのである。
詰将棋全国大会レポート(4) 全詰連第三回全国大会 *第4回の誤りと思われる
1966年5月、東京都日本女子会館にて。参加者55名。
- 詰将棋全国大会レポート(4)全詰連第三回全国大会 (PDF)
(詰将棋パラダイス 1966年6月号より)
鶴田全詰連最後の全国大会となった1966年5月の全国大会。レポートはわずか2ページで、一時の熱気は落ち着いてきたことがうかがえる。
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